旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

最北端 稚内への普通列車の旅4 名寄から幌延へ

2015-01-14 05:56:42 | 最北端 稚内への普通列車の旅

 今度の列車、名寄16時39分発幌延行き普通列車が、本日最後に乗る列車となります。
○名寄     16:39発
・日進     16:43着 16:44発
・北星     16:52  16:53
・智恵文    16:55  16:56
・智北     16:58  16:59
・南美深    17:02  17:02
・美深     17:05  17:07
・初野     17:10  17:11
・紋穂内    17:14  17:15
・恩根内    17:21  17:22
・豊清水    17:27  17:34
・天塩川温泉  17:38  17:39
・咲来     17:42  17:43
・音威子府   17:48  17:55
・筬島     18:01  18:02
・佐久     18:21  18:25
・天塩中川   18:32  18:33
・歌内     18:40  18:41
・問寒別    18:46  18:47
・糠南     18:49  18:50
・雄信内    18:56  18:50
・安牛     19:07  19:07
・南幌延      レ
・上幌延      レ
○幌延     19:18着 

 乗る車両は、国鉄キハ54形気動車といい、JRに移行する前年の昭和61年国鉄が製造した気動車です。民営化後の経営困難が予想されるJR北海道とJR四国のため、JR発足直前に投入されたものです。車両の横には、宗谷北線運輸営業所のシンボルマークが付いていました。



 宗谷本線は単線なので、上り札幌行き特急サロベツが遅れているため定刻に出発できず、7分遅れて16時46分に25人を乗せて出発しました。
 名寄は、かつて名寄本線、深名線の分岐駅であったことが構内の広さからもうかがうことができます。その広い構内を見ながら日進に向かうとすぐ、名寄川渡ります。


 日進の近くで名寄川は天塩川に合流しますが、合流点は車窓から見ることはできません。
 日進を出るといよいよ左手に天塩川が見えてくるはずですが、樹が遮りなかなか見ることができませんでした。


 その間に、北星、智恵文を過ぎました。
 北星は、駅名票の脇に見える赤い屋根が小屋のような待合室で、赤地に白で「毛織☆北紡」と書かれた看板が強烈で、カメラを構えたが取ることはできませんでした。


 智恵文は、宗谷本線最初貨車駅で結構大きなもので、中にはストーブもあるのか煙突がついていました。
 北海道の多くの無人駅は、無人化されたときに駅舎を壊し、貨車駅化されたと聞いていましたが、智恵文も旧駅舎の土台が残っているのが見えました。


 智恵文を過ぎると、林の間から川が蛇行しているかのように見えてきたのは、智恵文沼。
 智恵文沼は河跡沼の仲間で、元々、大きく蛇行する天塩川の一部だったそうです。周辺が度々水害に遇うことから、水路を西側へ切り替える工事をした結果、大きな半月形の水溜りが生まれ、この水溜りを造成して沼が出来たのだそうです。


 智恵文を過ぎ、智北、南美深、そして美深に到着。
 美深はアイヌ語のピウカ(石原の意)に由来し、駅名も当初「ぴうか」と呼ばれていたが、昭和26年に「びふか」に改称されたそうです。
 美深はかつて日本一の赤字線といわれた美幸線の分岐駅でした。駅舎は美幸線廃止後、「美深町交通ターミナル」という立派な建物に建て替えられています。
 ここで美深で、高校生を中心とした多くの乗客が降りて、7人だけになって幌延をめざします。


 美深から次の初野までは一直線に結ばれています
 初野が水田の見納めで、畑作か酪農地帯と変わってきました。

(プレハブの初野駅)

 初野を過ぎると天塩川が迫ってきて、紋穂内に着きました。


 紋穂内も、かつての駅舎の土台の上に貨車駅が作られていましたが、塗装がはげ地紋のようにも見えました。


 紋穂内の次の恩根内は、無人化となったときに周辺の駅同様、貨車駅となったが、後に建て替えられた駅舎でした。


 恩根内を過ぎ豊清水までは、線路際には林が続き,河畔のわずかな平地にも牧草地が続いています。


 豊清水駅は、名寄以北では数少ない交換駅の一つですが、駅前に家屋はあるものの、すべて廃屋と化していました。


 豊清水には定刻より1分だけ遅れて17時28分に到着したのですが、交換予定の上り列車が遅れているため、予定より10分遅れて17時44分の発車との放送がありました。


 豊清水から、天塩川温泉、咲来と天塩川の蛇行に沿うように進みますが、左右は林とジャガイモ畑などが続きます。
 またもや、特徴のある尖塔のある音威子府小学校が見えてくると、音威子府は間近です。


 音威子府まで来るとかなり北まで来たという感じがしますが、音威子府は旭川と稚内のほぼ中間です。
 駅のある音威子府村は、北海道内で最も人口の少ない自治体で、唯一人口が1000人以下の地方公共団体だそうです
 音威子府という地名はアイヌ語の「オ・トイネ・プ」(河口・土で汚れている・もの)に由来し、音威子府川が天塩川に合流する地点が泥で濁っていたことからの命名とされたそうです。
 ここは特急も停まる駅で、ホームには「乗車口7」の標識もありました。


 定刻通りでは、17時48分に着いて7分間停車し、17時55分の発車予定でしたが、今日は遅れを取り戻すため55分に到着し、56分の発車でした。
 実はこの音威子府で楽しみにしていた物がありました。それは、駅そば常盤軒の音威子府そば。
 車内に持ち込みできるので楽しみにしていましたが残念。
 「音威子府そば」というのは、音威子府でとれた蕎麦のことではなく、音威子府村の創業80年あまりの畠山製麺が製造する、北海道産のソバの実の外殻をそのまま使った黒いそばのことで、独特の風味と食感があるそうです。正しい商品名は「音威子府名代きそば」と言うそうです。
 なお、そばの作付面積、生産量ともに日本一は、去年洞爺湖で食べた同じ北海道の「幌加内」そばです。
 音威子府からしばらくは,天塩川の蛇行に沿って南北にうねりながら西へ進みます。この辺は音威子府渓谷と呼ばれ、天塩川の淵を走る列車からの車窓は天気が良ければ素晴らしかっただろうと思いました。


 まもなく筬島に到着と思われたとき、急ブレーキをかけて列車が停まりました。
 熊が線路上にいたための緊急停止との放送でした。このときの乗客は、私たち2人を含めても3人と寂しいものでした。


渓谷がやや開けたところに貨車駅の筬島があり、筬島から次の佐久までの約18㎞は神路渓谷ともいわれる、車窓がすばらしい区間です。



 曇り空で、18時を過ぎ、外より車内の方が明るくなったため、この先、思うように写真が撮れなくなりました。


 音威子府を1分遅れ、熊の出没で緊急停止。にもかかわらず、佐久には、定刻より2分早い18時19分の到着。


 ここで、上り札幌行き特急スーパー宗谷4号と行き違いのため4分の停車予定が、7分ほど遅れて18時32分頃の発車との案内。
 天塩中川を6分遅れで発車。歌内を5分遅れで発車。
 次の問寒別は、いかにも寒さが厳しそうな名前だが、アイヌ語のトイ・カ・ウン・ペ(土のかぶさる川の意)に由来するそうです。
 問寒別6分遅れで発車。次の糠南は4分遅れの発車。
 糠南と雄信内間の下平トンネルを抜けたところで停止信号で停車。その後徐行を始めました。原因は、シカが線路上を歩いていたためとのこと。
 雄信内を1分遅れで発車。
 最後の停車駅、安牛では最後の1人が降りて私たちだけになりました。
 終着、幌延には1分早い19時18分の到着でした。
 私たちを降ろすと列車は、稚内方面に向けて回送していきました。
 昨夜 8時55分に野辺地から電車に乗って、実乗車時間20時間38分、移動距離893.7㎞でした。
 
 つづく