旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

日本最長距離普通列車で行く道東の旅4 新得まで

2015-01-29 05:15:24 | 日本最長距離普通列車で行く道東の旅
 富良野駅からは1両増結して2両で釧路を目指し、国道38号にぴったり沿って南下します。

(「圭子ちゃんの店」で購入したのり弁当)


(ふらのとんとろ丼)

 次の布部駅。テレビドラマ「北の国から」の記念すべき第1回で、黒板五郎と純、蛍がこの駅に降り立つところから始まりました。 


 布部駅の隣、山部駅では右手には北の峰から芦別岳、夕張岳へと連なる切り立った険しい山容を見ることが出来ました。ここで、釧路発滝川行快速「狩勝」と行き違いました。


 山部駅から線路が左に90度向きを変えるといよいよ山間部に入り、左手に木の間から見下ろす空知川を見ながら下金山駅に着きます。


 下金山駅は、広い構内跡からかつては大きな駅だったようで、ランプの油を保管するための木造の危険品庫も残っていました。


 下金山駅を出ると国道237号に沿って南下、谷は狭まり山迫る。山部あたりではまだ広い河川敷をもってゆったりと流れていた空知川ですが、この辺に来ると狭い谷や断崖の見える渓谷となりました。


 金山駅。名の通り砂金採取者が山に入り拓かれたところで、明治の末にはトナシベツ川の砂金でゴールドラッシュに沸いたそうです。

(金山駅には煉瓦造りの危険品庫)

 金山駅を出ると90度向きを変えて東に進み、徐々に高度を上げていきます。


 列車は延長2,256mの空知トンネルを出ると、かなやま湖を渡り、東鹿越駅に着きます。


 駅裏には日本有数の石灰岩の鉱山があり、鉱山までの専用線が敷かれたり、専用の貨物列車が運行されたりしていたようですが、今ではそれも廃止され無人駅となっています。
 ホームには、石灰岩で栄えたときの思い出なのか黄色のペンキで「石灰石」とかかれた石が無造作に置かれていました。


 東鹿越駅を出ると、引き続きかなやま湖に沿って走りますが、木に阻まれて湖面はあまり見えません。
 遠くに富良野岳、十勝岳を見る頃幾寅駅に到着しました。


 駅舎には「ようこそ幌舞駅へ」の看板と「ほろまい」の表示。


 ここは平成10年の冬から映画「鉄道員」ロケのため改修され、映画では「幌舞駅」となっていたところです。基本的に建物はそのままで、モルタルをはがしただけだそうです。それが今でもそのまま使われていました。駅前には床屋や商店など映画で使用された建物がそのまま保存されて観光スポットになっていて、映画に使用されたぽっぽや号(撮影のためにキハ40を改造した、キハ12)の車両の一部が駅の横に展示されていました。


 幾寅駅から次第に急になり、落合駅に着きました。かつての根室本線落合駅・新内駅間は、標高664mの狩勝峠直下あった標高534mの狩勝トンネル(954m)を通るルートで結ばれていました。トンネルを十勝側に抜けると眼下に雄大な十勝平野が一望できることから「日本三大車窓」の一つとされていましたが、昭和41年9月に、25/1000という急勾配の連続を緩和するために、峠から南へ約4kmほど離れた新狩勝トンネルを経由する現在のルートに切り替えられました。以前は峠を越える列車は落合駅で後ろに蒸気機関車を連結していました。当時の転車台や機関庫の跡もなく、今では無人化された駅舎と跨線橋だけがそのまま使われていました。ここでは11分停車し、帯広発滝川行と行き違いました。

(落合駅跨線橋より新得方面 左に分かれる旧線が見える)


(落合駅跨線橋より幾寅方面広い構内に昔が偲ばれる)

 落合駅を出ると、左にカーブしていく旧ルートの線路が見えますが、すぐに途切れているようです。
 落合駅から川沿いに第一から第五までの落合トンネルをくぐり抜け、新狩勝トンネルに入り、トンネルの中で石勝線と合流して、北海道内では唯一のトンネル内の上落合信号場を通過しました。ここが新ルートのほぼサミット。


 5,790mの新狩勝トンネルは完全に直線で、信号場を過ぎると下り勾配になり、トンネル出てシェルターをくぐると新狩勝信号場を通過しました。
 新狩勝の名は旧ルートにあった狩勝信号場に対してのもので、狩勝は石狩と十勝の国名からとったものです。
 新狩勝信号場から大きなカーブを切って下りましたが防雪林のため景色は今ひとつ。
 次の広内信号場は、昭和46年までは有人の信号場で、上落合、新狩勝、西新得の各信号場の遠隔操作を行っていたという、2階が張り出した独特の形になっていました。ここにも、よく見られるスノーシェルターがありました。これは雪崩から線路を守るのではなく、線路の分岐部分を雪から守るためのものだそうです。除雪のための職員を常駐させなくてもよいように設置しているそうです。

(広内信号場)

 広内信号場を過ぎてから西新得信号場まで、良い景色が続きましたが、すっきり晴れ渡る天気でないために、少々惜しい気持ちになりました。


 西新得信号場を過ぎると間もなく新得駅かと思いましたが意外にもこの区間は6.8kmもあって、途中の長い新得山トンネルを抜けてやっと町並みが見え、もう一つトンネルを抜けると1分ほどで新得駅に着きました。


 新得駅は落合駅同様、狩勝峠越えの拠点で新得機関区のあった大きな駅でしたが、昭和63年に商工会館を併設したこぢんまりとした駅舎になりましたが、駅前には「火夫の像」がありました。



 駅前にはもう一つ、やじろべいの形をした、「北海道の重心地」の記念モニュメントもありました。
そばの記念碑によると、平成5年3月建設省国土地理院は『北海道の重心』は、新得町にあることを発表しました。
 その地点は東経142°49′40″北緯43°28′2″新得駅から北に43㎞離れた、トムラウシ温泉の西側に位置しますが、新得町ではこれを記念して、モニュメントを設置したそうです。
 新得駅の隣の十勝清水駅のある清水町は、ベートーヴェンの交響曲第9番を全国の町村の中でで初めて合唱したことから「第九の町」をうたっています。


 つづく