2000年3月の有珠山の噴火によって金比羅火口群とともに誕生した西山火口群。
その火口群に沿って「有珠山西山火口散策路」が整備され、噴火によって出来た火口や、被害を受けた道路や建物を間近に見ることが出来ます。
この散策路は北口と南口を結ぶ約2㎞の散策路で、途中に第1展望台と第2展望台があります。駐車場の広さや路線バスが運行されていること、温泉街から近いことなど理由からか、多くの観光客は北口を利用します。
北口の駐車場に着くと、目の前の道路の陥没と前方の隆起によって地表の水や断層から吹き出した地下水がせき止められて出来た「西山火口沼」と、旧西胆振消防本部兼虻田消防庁舎を見ることが出来ます。旧庁舎は、現在火山資料展示室として使われているそうですが、今回は時間の関係で見ることをあきらめました。
さて、駐車場から散策路の入口までは、売店が軒を連ねます。金比羅火口で作ったゆで卵だけでなく、温泉卵ならぬ、鶏とダチョウの石焼き卵…
散策路に入ると、噴火前は下り坂の道路が、隆起によって上り坂になったしまいました。しかも路面は傾き、大地の収縮により縁石やフェンスがゆがんでいるのを見ることが出来ます。また、地割れ。「断層」を見ることも出来ます。
この道路は町道泉公園線といって、1977年の有珠山噴火のあとに、避難道路として整備された道路だったそうです。
以前は、第1展望台までの枕木ロード沿いは、噴気があちらこちらから出ていて、地温が90度ぐらいと、地面に手を近づけただけで熱気を感じたものでしたが、今では熱気もさほど感じず、植生も回復しつつあって、全体的に緑が多くなっていました。
それでも、噴火当時の噴石が多数降ったと思われるでこぼこな地面から、噴火の激しさを感じることが出来ます。
クレーターの中には、今でも多くの噴石が入っているそうです。
さらに進んで、第1展望台が近づくと、道の周りには街路樹がなくなります。
噴火前には、10m毎に松を植え整備された道路だったそうです。噴石などで枝が吹き飛んだり、地面が熱くなったりして枯れてしまったためだそうです。
西山火口第1展望台は、修学旅行でよく記念写真を撮る所です。その理由は、ここからいくつかの火口を見ることができること、水蒸気の量が多いこと、生々しい被害状況を見ることが出来ることだと思います。
第1展望台は町道泉公園線が約70m隆起したところだそうです。
ここから見える火口の中間には、黒く突き出ている水道管とその近くに工事用の重機を見ることが出来ました。
その重機は、噴火に伴う地殻変動で水道本管が破裂したため工事をしていた業者が、突然の噴火で重機をおいて避難したためおいて行かれたものです。
そのほかにも、ゴミ焼却場の煙突や階段のように隆起した国道、電柱や標識なども見ることが出来ます。
枕木を並べた散策路をさらに進むと、第2展望台に着きます。ここからは、旧虻田市街と噴火湾を望むことも出来ます。
第2展望台で目を引くのはGPS装置です。太陽電池を利用して、火山の位置と高さを常時観測しています。そばには小さな小屋が建っていて、簡単な説明板も設置してあります。
また、真下には被災したわかさいも泉工場を見ることが出来ます。直下で地殻変動が起きたため、建物がよじれて壊れていることが分かります。
第2展望台から下ると、南口に着きます。北口と違って南口は交通の便が悪いので、多くの人たちは、ここで今来た道を、北口に戻ります。
中には、南口まで一度降りて、再び登って北口に行く人もいます。
今回は、私たちもここで引き返しました。
以前修学旅行で、南口から北口まで歩いたことがありました。
北口から第2展望台までは、噴火による自然の変化を中心に見ることが出来るのに対して、南口から第2展望台の間には、道路の隆起した高さに驚き、噴火で埋まったアパート、壊れた工場、そして天井や壁に穴の開いた幼稚園跡など、噴火による生活被害を間近に見ることが出来ます。
この西山火口散策路を歩くたびに、火山噴火のエネルギーのすごさと自然の生命力のすばらしさの両面を学習するのに適したところだといつも感じています。
今回は2年ぶりでしたが、天気のせいか水蒸気の量が少なくなっていたのと、草が生え緑が多くなっていたことから、噴火エネルギーのすごさをより自然の生命力のすごさを感じさせるところとなっていました。
さて,ここまでは修学旅行でも何度か訪ねた,有珠山噴火に関する主なところを回ってきました。
この後は,修学旅行のルートから外れた所にある,昭和新山誕生に関係するところに行くことにします。
つづく
その火口群に沿って「有珠山西山火口散策路」が整備され、噴火によって出来た火口や、被害を受けた道路や建物を間近に見ることが出来ます。
この散策路は北口と南口を結ぶ約2㎞の散策路で、途中に第1展望台と第2展望台があります。駐車場の広さや路線バスが運行されていること、温泉街から近いことなど理由からか、多くの観光客は北口を利用します。
北口の駐車場に着くと、目の前の道路の陥没と前方の隆起によって地表の水や断層から吹き出した地下水がせき止められて出来た「西山火口沼」と、旧西胆振消防本部兼虻田消防庁舎を見ることが出来ます。旧庁舎は、現在火山資料展示室として使われているそうですが、今回は時間の関係で見ることをあきらめました。
さて、駐車場から散策路の入口までは、売店が軒を連ねます。金比羅火口で作ったゆで卵だけでなく、温泉卵ならぬ、鶏とダチョウの石焼き卵…
散策路に入ると、噴火前は下り坂の道路が、隆起によって上り坂になったしまいました。しかも路面は傾き、大地の収縮により縁石やフェンスがゆがんでいるのを見ることが出来ます。また、地割れ。「断層」を見ることも出来ます。
この道路は町道泉公園線といって、1977年の有珠山噴火のあとに、避難道路として整備された道路だったそうです。
以前は、第1展望台までの枕木ロード沿いは、噴気があちらこちらから出ていて、地温が90度ぐらいと、地面に手を近づけただけで熱気を感じたものでしたが、今では熱気もさほど感じず、植生も回復しつつあって、全体的に緑が多くなっていました。
それでも、噴火当時の噴石が多数降ったと思われるでこぼこな地面から、噴火の激しさを感じることが出来ます。
クレーターの中には、今でも多くの噴石が入っているそうです。
さらに進んで、第1展望台が近づくと、道の周りには街路樹がなくなります。
噴火前には、10m毎に松を植え整備された道路だったそうです。噴石などで枝が吹き飛んだり、地面が熱くなったりして枯れてしまったためだそうです。
西山火口第1展望台は、修学旅行でよく記念写真を撮る所です。その理由は、ここからいくつかの火口を見ることができること、水蒸気の量が多いこと、生々しい被害状況を見ることが出来ることだと思います。
第1展望台は町道泉公園線が約70m隆起したところだそうです。
ここから見える火口の中間には、黒く突き出ている水道管とその近くに工事用の重機を見ることが出来ました。
その重機は、噴火に伴う地殻変動で水道本管が破裂したため工事をしていた業者が、突然の噴火で重機をおいて避難したためおいて行かれたものです。
そのほかにも、ゴミ焼却場の煙突や階段のように隆起した国道、電柱や標識なども見ることが出来ます。
枕木を並べた散策路をさらに進むと、第2展望台に着きます。ここからは、旧虻田市街と噴火湾を望むことも出来ます。
第2展望台で目を引くのはGPS装置です。太陽電池を利用して、火山の位置と高さを常時観測しています。そばには小さな小屋が建っていて、簡単な説明板も設置してあります。
また、真下には被災したわかさいも泉工場を見ることが出来ます。直下で地殻変動が起きたため、建物がよじれて壊れていることが分かります。
第2展望台から下ると、南口に着きます。北口と違って南口は交通の便が悪いので、多くの人たちは、ここで今来た道を、北口に戻ります。
中には、南口まで一度降りて、再び登って北口に行く人もいます。
今回は、私たちもここで引き返しました。
以前修学旅行で、南口から北口まで歩いたことがありました。
北口から第2展望台までは、噴火による自然の変化を中心に見ることが出来るのに対して、南口から第2展望台の間には、道路の隆起した高さに驚き、噴火で埋まったアパート、壊れた工場、そして天井や壁に穴の開いた幼稚園跡など、噴火による生活被害を間近に見ることが出来ます。
この西山火口散策路を歩くたびに、火山噴火のエネルギーのすごさと自然の生命力のすばらしさの両面を学習するのに適したところだといつも感じています。
今回は2年ぶりでしたが、天気のせいか水蒸気の量が少なくなっていたのと、草が生え緑が多くなっていたことから、噴火エネルギーのすごさをより自然の生命力のすごさを感じさせるところとなっていました。
さて,ここまでは修学旅行でも何度か訪ねた,有珠山噴火に関する主なところを回ってきました。
この後は,修学旅行のルートから外れた所にある,昭和新山誕生に関係するところに行くことにします。
つづく