第6章は法律と権利です。
「なぜ法律があるの?」という問いから、この章は始まります。
「なぜ法律があるの?」
社会は、法律や規則がなくてもうまく機能するかもしれません。それなら、「なぜそんなものがあるの」と尋ねたくなるでしょう。確かに、私たちはみんな、他人のモノを盗んだり、他人を殺したり、脅したりしてはいけないということを、どこかで学んで知っています。
それでも、すべての社会には法律と規則が必要なのです。交通面で言えば、交通規制がなければおそらくまったく機能しないでしょう。社会も、それに近いのです。法律や規則は、社会に生きる私たち同士が協力しやすくするものなのです。
社会でもっとも大切な法律は、私たち人間の権利と民主制にかかわるものです。これらの法律は「基本法」と呼ばれています。
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」(国際連合の「世界人権宣言」第一条)
<考えよう!>
- 「すべての人間は、生まれながらにして自由」というのは、どのような意味でしょうか? これは、すべての人間がやりたいことをやれる権利ということでしょうか?(156〜157ページ)
スウェーデンの教育は、徹底的に思考することを前提として組み立てられていることがわかります。
日本においても憲法と法律の違いについて、教えることがあります。憲法は権力を縛るものであり、法律とは違うという趣旨です。「立憲主義」という言葉がそれです。
「世界人権宣言」を議論の土台にしていることは、日本の教育ではほとんど見られない光景です。
さらに、「法律と規則」では、サッカーにルールがあるように社会にもルールがあること、それをジャッジするのはサッカーでは審判であり、社会では裁判官であることなどが書かれています。それは、すべて法律に基づいて行われているということを身近な問題として書いているのです。
この後、「異なる犯罪には異なる刑罰」があるとして、具体的な犯罪についてどのような内容でどのくらいの刑罰なのかが記されています。「刑罰を重くすれば、犯罪は減ると思いますか?」と考えさせるなど、ここでも徹底的に思考することが求められます。
さらに、死刑制度について「昔は、死刑が適切な刑罰と考えられていました」とあり、「今日では、アメリカのいくつかの州を除いて、すべての民主制国家で死刑が廃止されています」と記されています。
「おやっ」と思ったのは私だけはないと思います。大学生たちの感想でも「ここに日本が含まれていないということは、もしかしてスウェーデン人は日本を民主国家だと思っていないのかも……」と述べています。
■犯罪に対する向き合い方
「人はなぜ犯罪を起こすのでしょうか?」と投げかけ、「犯罪の結果」について次のように述べられています。
刑罰の判決を受けた人には、困難な人生が待ち受けています。もし、刑務所に入ったとなると、仕事や住居を見つけることが難しくなります。長い期間刑務所に入って出てきた人の多くは、自信を失い、家族や友人との連絡も途絶えがちとなります。
犯罪の被害者となった人も、しばしば支援や助けが必要となります。彼らは、長い期間にわたって病院に通わなくてはならないような深刻な傷を負うこともあります。また、たとえば通りで強盗に襲われた人は、外に出ることを怖がるかもしれません。
犯罪は社会にとってもお金のかかることです。人々を刑務所に入れておくこと、裁判を開くこと、犯罪被害者を支援することには、多くのお金がかかります。
ですから、若いうちに犯罪を起こした人を社会が助けようと努力することは、大切なことなのです。それは、若者たち自身のためになるだけでなく、社会としてもお金を使わずにすむからです。(167〜168ページ)
ここは意見の分かれる議論かもしれません。
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