フォトジャーナリストの安田菜津紀さんの講演を聞く機会がありました。
町田市生涯学習センターが夏の平和イベントのプレ企画として行った「若者と未来の平和を考える」。
都立小川高校の高校生とのディスカッションもありました。
■ほぼ同世代の安田さんから感じ取ったもの──軸と分かち合う
現地に行き肌でしかわからない空気感、直接話を聞かなければわからない真実や葛藤、個人とともにある物語──「伝える」という仕事を通して訴えかける言葉の一つひとつに吸い込まれるような思いでした。
私が安田さんの話を聞いて感じ取ったキーワードは2つあります。
一つは「軸」、もう一つは「分かち合う」です。
「軸」という言葉は、「一人称の私の軸を広げた先に、シリアも、イラクも、カンボジアも、陸前高田もある」など、自分という軸の先を見てほしいという話など、私とは関係ないものではなく、私の先にあるものという話の中で語られています。
「分かち合う」という言葉は、安田さん自身が高校生の時に訪れたカンボジアで感じ取ってきたことを、分かち合いたいと思ったことを起点にしています。目の前の子どもたちのために何かしたいと思っても、ほとんど何もできない、ならば誰かと分かち合うしかないということです。
■シャッターを切るときに込める2つの願い
フォトジャーナリストとして、とりわけ紛争地域でシャッターを切るときに込める2つの願いがあると言います。
「一つは、目の前の子が早く元気になってほしい。もう一つは、同じような子どもたちがこれ以上増えないように」──そう願っては打ち砕かれ、また願うというくり返しが現実なのだとお話しされました。
それでも「伝える」という仕事にこだわり、同世代を生きる人たちと共有し、分かち合っていくことを大切にしていると語られました。
■誰でも持ち寄り会える役割がある
安田さんは、医者だったら子どもの命を直接救えたかもしれない、NGO職員だったら現地の人に寄り添い物理的に役立つことができたかもしれない、でも「伝える」(フォトジャーナリスト)という仕事は、何か意味があるのだろうかと自問自答することがあると言います。
そう考えていた時に、あると。安田さんの本から引用させていただきます。
現地のNGOの方から頂いた言葉があります。「なつきさん、これは役割分担なんですよ。自分たちNGO職員には、ここに踏みとどまって人々を支えることができるかもしれない。けれどもここで何が怒っているのかを世界に知らせるのは、時にはとても難しいことがある。あなたは少なくとも通い続けることはできるし、ここで何が起こっているかを世界に広めることができるのだから」と。
人を支える形は様々です。現場で医療や食糧支援を続ける人、それを支えるために遠くから必要な資金を送る人、それを伝える人、その伝わったものを家族や友人、身近な人に広めていく人……。ひとりの人間がすべての役割を果たすことはできません。けれどもそれぞれができることを少しずつ持ち寄れば、小さかった輪がやがて大きく広がっていくかもしれません。
皆さんはこれからそれぞれ、自分自身の道を切り開いていくことと思います。どんな立場の職業にも、必ず持ち寄り合える役割があるはずです。大切なのはみなさん今感じている「無力さ」を忘れないことだと思っています。「今は何もできないけれど、何かしたい」と思うその気持ちが、心の種となって将来 、行動のチャンスが訪れたときに必ず花を咲かせるでしょう。
(安田菜津紀『写真で伝える仕事 世界の子どもたちと向き合って』日本写真企画、44〜45ページ)
この本は、「これからの時代を生きる中学生・高校生へ」書かれたものですが、多くの方の心を捉える一文ではないかと思います。
かくいう私も日々「無力さ」を感じています。いまは、都議会議員として仕事をしていますが、この仕事を通して見えてくるものはとても厳しい現実です。この現実を何とかしたいという思いで、いろいろな人たちと手を携え、それぞれが持ち寄って、現実を変えていこうとしていますが、悔しい思いをすることもしばしばで、自分の「無力さ」を痛感しています。
しかし、絶望しているわけではありません。安田さんの言葉を借りれば、「今感じている『無力さ』を忘れないこと」が大切だと思っています。そして、無力なのではなく、一人ひとりは微力かもしれないけど無力ではないと思っているからです。
人とつながり、人につなぐこと──自分の持ち場で役割を発揮することが、役割分担の本質です。自分だけでできないことは、他の人の力を借りることが不可欠です。人の力を借りることは、とても素敵なことだと私は思います。
■出会いを超えるものはない
安田さんの話の中にも「出会いを超えるものはない」というものがありました。
出会いとは「私とあなた」です。「私とあなた」の先に見える世界は、私の世界です。
私も、いい出会いは、その後の人生を変えると思います。人生を変えるというと大げさかもしれませんが、本当にそう思っています。
六次の隔たり(Six Degrees of Separation)という仮説がありますが、「自分とあなたのその先」を想像できるかが出会いにはあると思います。
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