じいちゃんの3回忌でした。
私が小学生だったころ、じいちゃんに高円寺にある中華料理屋さんに連れて行ってもらった記憶は今でも鮮明に残っています。
私と次男は自分で自転車に乗り、三男はじいちゃんの後ろに乗って、高円寺まで中央線のガード下を進んで行った記憶です。高円寺の阿波踊り、阿佐ヶ谷の七夕祭りもじいちゃんに連れて行ってもらいました。
落語が好きで、寄席文字を書く人でした。ばあちゃんと母が切れ目なくしゃべるので、じいちゃんが言葉を発している場面は多くありません。ただ、とても多くの人から慕われていた人で、じいちゃんを訪ねていろんな人がじいちゃんの家に出入りしていました。
じいちゃんのことを知っている方から、「お世話になったのよ」と声をかけていただくことがしばしばあります。
お墓の前で、手を合わせた時に「この前はあの人からじいちゃんの話を聞いたよ」と。
ひ孫にあたる私の子どもたちの成長を、目を細めて喜んでくれていました。
ごく一般的な言い方かもしれないけれど、亡くなった人を偲ぶ機会は、本当に大切です。そこには物語があります。その物語の続きを生きているのだと思うのです。
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