学校のルールは、子どもたちが参加して決めることを当たり前にしようと、当事者である高校生や若い人たちと意見交換をしてきました。
岐阜県立斐太高校の「黒タイツがダメなワケ 校則とのたたかい」がNHKで報道され、大きな反響を呼びました。(参考:NHK NewsUp「黒いタイツがダメなワケ 校則とのたたかい」)
「ベージュのタイツは見た目が『もも引き』みたいでダサい」
このシンプルな思い。実態調査やアンケートなどを通じて、意見を可視化していくプロセスは本当に素晴らしいなと感じました。
改善要求に対して校長の回答はNO。
理由は「やっぱり紺のセーラー服、紺のスカート。そして白のソックス。これが斐太高校の制服ですよというふうにずっと見てきたし、見られてきた。周囲の高校は、紺だったり黒のタイツだったりするので、それとの区別というか。斐太高校はこうだっていう、そこへのこだわり。それを覆すだけの理由が出てこなかった」というものでした。
これを受けて、「手順を踏んで最大限やったのに納得いかないし、憤りを感じました」「私たちの意見ってなんだろう、というのが本心です」と高校生たちが話しています。
最終的に保護者や同窓会などからも改善の意見が出され、校長は「保護者や同窓会の意見」を重く受け止めるという形で黒いタイツを可としました。
校則を変えた、高校生の声が動かしたのです。
ただ、モヤっとすることがあります。当事者である高校生の意見をどう見ていたのだろうか。学校教育の現場は、常に自分で思考し、他者を尊重しながら、未来をひらく力を育む場であるはずです。
ところが、あらかじめ決められた(意味不明なものも多い)ルールに従うことを強要される。学校現場以外では通じないようなルールにどれだけの意味があるのでしょうか。しかも、そのルールは子どもたちの最善の利益というよりは、大人の都合で作られたものが多いと思うのです。
子どもの意見、子どもの参加こそキーワードです。
岐阜県教育委員会は、人権に配慮する視点から校則の見直しを進めたり、校則のホームページ公開を進めています。
参考:「ブラック校則、県立高の9割以上に 岐阜で廃止の動き」
参考:「岐阜県教委が県立高校の校則をホームページで公開へ」
にほんブログ村←日本共産党池川友一のオフィシャルブログ「都政への架け橋」を見ていただきありがとうございます。一日1回、応援クリックをお願いします。