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お願いいたします。
<クイズ 政党のお金(1)>政党助成金が収入に占める割合は、共産党○%、自民党○%、民主党○%、みんなの党○%です。 #JCP_plus9 ☆こたえは→ jcp.or.jp/web_tokusyu/20…
<クイズ 政党の歴史(2)>つぎの政党を、結党された順番にならべてください。 民主党・自民党・共産党・公明党・維新の会・未来の党 #JCP_plus9 ☆こたえは→ jcp.or.jp/web_tokusyu/20…
<クイズ 政党の足腰(3)>「どこへいってもそれなりのレベルの○○○○をもっているのはそう多くない。共産党というのは、そこは敵ながらあっぱれ」(前○○党総裁) #JCP_plus9 ☆こたえは→ jcp.or.jp/web_tokusyu/20…
<クイズ 政党の名前(4)>つぎの政党の名前で実際にあった党名はどでしょう (1)フロム・ファイブ(2)新民主クラブ(3)ソーシャル・ネット #JCP_plus9 ☆こたえは→ jcp.or.jp/web_tokusyu/20…
<(1)のこたえ>共産党 0% 自民党 72% 民主党 83% みんなの党 97%
<解説>
◆身を削るというなら「政党助成金」の撤廃を
日本共産党以外の政党は政党助成金頼み。まるで国営政党です。選挙で票と議席さえとれれば、あとは国からお金がもらえる――政党の粗製乱造、劣化の原因です。
政党助成金は、年間320億円、すでに5555億円もの血税が日本共産党以外の各政党にばらまかれました。このお金で保育所をつくれば18万5千人の待機児童を解消することができます。
日本共産党は、国民に依拠した自前の財政で活動し、政党助成金は憲法違反の制度だとしてきっぱりと受け取りを拒否。その総額は350億円を超えます。企業・団体献金も一度ももらったことはありません。
<(2)のこたえ>共産党(1922年) 自民党(1955年) 公明党(1964年) 民主党(1996年) 維新の会(2012年9月) 未来の党(2012年11月)
<解説>
日本共産党は党をつくって90年。1世紀近い歴史によって試された党です。選挙目当ての政党が生まれては消えるなかで「スジを通す党」という注目が集まっています。そのおおもとには、90年の歴史の裏づけがあります。
"やらないと公約したのに消費税を上げた""投票した政党がなくなった..."――その点、日本共産党は安心です。日本共産党に託した願いは、必ず政治をよくするために生きて働きます。
<(3)のこたえ>地方議員 前自民党総裁
<解説>
8月31日、自民党本部で谷垣禎一前自民党総裁がこう講演しました。谷垣氏は、自民党が下野してから取り組んだ地方行脚で、日本共産党の〝草の根〟の力を実感したのです。
◆"草の根"の力は断然トップ
日本共産党の地方議員数は2700人を超え、政党の中でトップクラスです。全国2万余の党支部、31万8千人の党員が、日常的に国民と結びついて活動しています。
◆震災ボランティア3万人、募金10億円
東日本大震災では、この力をいかし、ボランティアを3万人、募金を10億円集めて、被災地に届けました。原発のたたかいでは、全国各地で党派を超えて力をあわせて活動し、国民の過半数が「原発ゼロ」を願うまでに世論の変化をつくりだしてきました。
<(4)のこたえ> (1)フロム・ファイブ
<解説>
1997年12月26日に結党。細川護煕元首相らが、フロムファイブ(五人から)の党名通り、国会議員五人からもらえる政党助成金を目当てに、年末ぎりぎりに結党し、翌年1月に民政党に合流し、無くなりました。
「名前をコロコロ変えるような政党は信用ならない」――これが国民の実感ではないでしょうか。
"党名変えなくて正解" 『週刊朝日』12月14日号
「共産党の寸評は『党名変えなくてよかったですね』かな。我々はずっと党名を変えなさいと主張してきましたが、新党がポコポコ生まれて党名がコロコロ変わる現状を見ると、変えなくて正解でした。すいません。」(松原隆一郎・東京大学教授)
◆党名を変えずに
日本共産党は創立以来、90年間同じ名前で活動しています。
日本共産党は戦前、天皇絶対の暗黒政治の時代から、激しい弾圧に屈せず、侵略戦争反対と国民主権を掲げ続けました。戦後、党議長となった宮本顕治さんは、12年間獄中で不屈にたたかいました。評論家の加藤周一さんは、宮本さんが死去したとき、「反戦によって日本人の名誉を救った」という談話を寄せてくれました。
これに対して今の自民党や民主党の先輩だった保守政党や、社民党などの前身の党は侵略戦争を後押しし、太平洋戦争前には自ら解散し、「大政翼賛会」に合流しました。そのため戦後、党名を変えて再出発せざるをえなかったのです。
日本共産党は、これらの党と違い党名を変える必要がなかったのです。