「ブログ村ランキング」の応援クリックをお願いします
お願いいたします。
綾瀬市西部を流れる目久尻川の流域には、4万年前から近代にいたるまでの貴重な人々の歩みが刻まれています。
私は2015年3月議会で「私はこの神崎遺跡というものは綾瀬市の非常に貴重な文化であるというふうに思っております。ただ、この神崎遺跡を単独で扱うとまだまだボリュームに欠けてしまうということがあります。・・・・・綾瀬市にはすぐ近くに旧石器時代の遺跡があります。・・・・・ここは神奈川の歴史博物館に行けば、神奈川の歴史の最初の項としてこの場所から見つかった旧石器時代の石器が飾られています。そのように神奈川の歴史の発祥地でもあるこの場所をどう位置づけていくのかということで、あと神崎遺跡につながる目久尻川、この沿線にはたくさんの史跡があります。この目久尻川の文化圏ともいうものをどういうふうにこの神崎遺跡と結びつけていくのかということです。神崎遺跡という点だけではなくて、目久尻川という線で、そしてまたその周りのいろいろな文化施設、文化遺跡というものを結びつけて面として捉えていくということによって、この神崎遺跡の施設がより有効に活用され、綾瀬市の文化の発展に寄与していくのではないかと思うわけです」とのべて、「目久尻川文化圏構想」を提案しました。
その後、2019年に綾瀬市が「目久尻川文化ゾーン」構想として具体化することができました。
その構想が着々と進められているわけですが、ちょっと「あれ?」というものを見つけてしまいました。
上の写真のように「目久尻川歴史文化ゾーン」の案内看板が何カ所かに建てられているのですが、小園橋近くの案内板の記述にちょっと首をかしげてしまうのです。
それは、「城山公園・早川城山遺跡」についての記述です。(下の写真、参照)
実は、城山公園があるところには2つの重要な史跡があります。
①早川城山遺跡(はやかわじょうやまいせき)
②早川城跡(はやかわじょうあと)
の2つです。
①は奈良平安時代の遺跡で、②は鎌倉時代から室町時代の遺跡です。
ところが、市が設置した案内板では、タイトルが①の「早川城山遺跡」となっているのに、説明文は「中世の山城を生かした公園」という見出しになっていて②の「早川城跡」にウエイトを置いてしまっています。
そもそも歴史文化ゾーンの説明板なのになぜ公園の説明がほとんどなのでしょうか?? ふ・し・ぎ ですね。
これ、書き直した方がいいと私は思います。