早乙女勝元著の絵本「パパ ママ バイバイ」(▲写真)を原作とした長編アニメ映画が完成し、神奈川県内トップで海老名文化会館で上映されました。
厚木基地の米軍ジェット機が横浜市の民家に墜落し多くの犠牲者をだした実話が元になっています。私が大学1年生のときのことですから、当時の衝撃は今もおぼえています。
この事件が発生したのは、1977年(昭和52年)9月27日午後1時17分ころ。米海軍厚木基地を離陸した米海兵隊所属RF-4Bファントムジェット機が相模湾沖を航行中の空母「ミッドウェー」に向かう途中、エンジン火災を起こし、横浜市緑区(現在は青葉区)荏田町の宅地造成地に墜落したのです。
事件発生後10分後に到着した自衛隊の救難ヘリコプターは、大やけどを負って救助を求めている被災者を助けるのではなく、墜落前にパラシュートで脱出した無傷の2人の米軍パイロットを乗せただけで厚木基地に帰ってしまいました。
炎上する家の中から逃げ出してきた大やけどを負って助けを求める人たちを救助し、救急車を要請したのは近くにいた民間人だったということです。
映画を観た方が、帰りしなに、「くやしい。自衛隊のヘリコプターが助けなかったのがくやしい・・・」と目を赤くしながらつぶやいていたのが印象的でした。
青葉台病院に収容された林裕一郎君(当時3歳)と、弟の康弘君(当時1歳)は、この日の深夜、「パパ ママ バイバイ」「ポッポッポ はとポッポ」と小さな声を最後に息を引き取ってしまうのです。
詳しい経過はこちらをごらんください。
▲映画会会場に展示されていました。
厚木基地ではこの事故後も長らく航空ショーなどで、ジェット機のアクロバット飛行などの曲芸を行っていました。外国のニュースでアクロバット飛行のジェット機が観客のなかに墜落して大惨事になったニュースが一度ならず報道されていますが、見ていて本当に怖いものでした。
私は、綾瀬や大和の共産党議員団や平和委員会のみなさんたちと共同して、航空ショーの中止、特にアクロバット飛行の中止を米軍に要請したり、航空ショーを楽しみに見にこられている方たちにも、地元の苦しみや恐怖を伝え、地元住民の感情への共感をお願いしてきました。現在では、多くの市民の声が届いて、アクロバット飛行はなくなりました。
小さくても、繰り返し繰り返し生活者としての声、平和の声をあげ続けていくことの大切さを感じます。この映画が一人でも多くの方に観られて、不条理な社会のあり方を変える力になることを願っています。
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外国の軍隊が首都の近くにあるのは、先進国では日本だけだそうです。
外国の軍隊が首都の近くにあるということは、その気になればこの軍隊は、その国の統治機構を簡単に制圧できてしまうわけで、植民地や従属国でよくみられる状態ですよね。
自民党の野中さんは、座間に第一軍団司令部がくることは日本が属国になってしまうと言ったと記憶していますが、自民党の中心にいた人でも危機感を持つほどにひどくなってきているのですね。
「どうしてこんなことが起きるのか?どうして?」と女の子。
そこに米軍基地がある限り、いつ同じ呟きを耳にする可能性があるわけで。
やはり一日も早く米軍には本国にお帰りいただけなければいけませんね