宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

砂漠の夕日の中で

2007年04月20日 | Weblog
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http://www.d1.dion.ne.jp/~kalinka/china/yomoyama/
bizin/kouhi.htm


18世紀半ば、清朝の乾隆帝の時代の話です。
この時代清朝は全盛期で今の新疆ウイグル自治区の全域を
征服し、清朝で最大の領域を誇っていました。
この戦果として西方シルクロードゆかりのヤルカンドから
献上されたのが伝説の美女香妃でした。

香妃の名の由来はその美しさばかりか、体からもかぐわしい
芳香を放っていた事からつけられた名前です。
もともとこの香妃はヤルカンド地方を支配する回族首長の
妃でした。
美貌の噂は遠くまで響いており、清朝が西域を支配すると
香妃も捕らえられ、北京の宮廷へと送られてきました。
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この香妃に関して、某書で次のように書かれていました。
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「広大なタクラマカン砂漠は焼けるような太陽の光が
照りつけて、灼熱地獄という形容に相応しいものでした。
摂氏43度、車窓を開けると熱風が吹き込んでくるのです。
窓を閉めると車中は蒸し風呂のようでしたが、それでも
まだ車中の方が涼しいという有様でした。

私はその暑さの中で、この地の人である香妃の事を
考えていました。
ここには香妃のミイラを安置したお寺があります。
何しろこの暑さと乾燥した気候では、何でもミイラに
なってしまそうです。

しかし香妃はその美しさを皇帝に見初められて、この
太陽の照りつける中をカシュガルから北京までの長い
旅を続けたのです。
現在でも、カシュガルから途中のウルムチまでプロペラ機で
3時間かかり、それから北京までジャンボ機で4時間も
かかるのです。

ラクダか輿のようなものに乗って気の遠くなるような
旅を首尾よく終えて皇帝のもとに着いたとしても、
この過酷な気象条件のもとでは、生きたままミイラの
ようになっていたのではないかとさえ思われました。

ところが書物によると、美しい香妃は宮殿で絶えず
皇帝を悩ませていた、と書いてあるのです。
では一体どのようにして、香妃はこの太陽のもとで
旅を続けたのでしょう。

皆さんも、月の砂漠をラクダに乗って旅する王女の
姿を思い浮かべて下さい。
長いシルクのベールを細いクラウンで留めて、
体に紫外線の当たらないようにしっかりとガード
しているではありませんか。

日本でも平安時代の貴婦人が外出する時は、絹の
袿(うちぎ)をかぶっていました。
それらは単に人に顔を見せないためだけでなく、
紫外線から肌を守る知恵だったのです。

シルクは紫外線を吸収する性質があるのです。
それはシルクが日光に当たると黄ばんでくる事から
わかります。」
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