宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「アイスクリームのための戦い」

2008年05月27日 | Weblog
(画像はクリックされましたら拡大します。)

70年代にルネ・ヴァンダール氏によって書かれたエッセイです。

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例としては適切ではありませんが、ベトナム戦争の新聞でレポートで、
こんな話を読みました。

山の上に孤立してしまった小部隊に食料と弾薬を大型ヘリコプターで
補給します。
兵士達の士気を鼓舞するために、本国から空輸してきたアイスクリームを
定期的に送り届けるのだそうです。

その孤立した山の上の陣地に、戦略上よほどの重要性があるのでしょう。
危険を冒してやってくるヘリコプターから本国製のアイスクリームを
もらって、自分達の果たしている任務の大事な事を確信するのでしょう。
その山を文字通り死守する事になるのだそうです。
そんな風にして人間が殺し合いを続けるなど、戦争とはまことに罪深い
ものです。

人生の闘いの場でも、孤立してしまってなおその陣地を死守しなければ
ならない事があります。
贅沢な物資の投下によって士気を鼓舞する事も大事な事かもしれません。
しかし、自分がもう一人の自分を斥候に出して、もっと大きく戦局を
見させたり、あるいはより高所から、その戦いそのものの意義を考えて
みたりする事ももっと大事な事です。
戦闘が激しくなるほど、全体は見え難いものです。

(中略)

人生は確かに闘いです。
しかしそれは人を傷つける戦争であってはならず、自分自身のうちなる
闘いでこそあらねばなりません。
流れに押し流され、孤立した、無意味な陣地を死守するために、
口当たりの良いアイスクリームをたっぷりと与えられ、あるいは自分で
自分に与えて、その無意味な闘いを続け、しまいには大局を失い、
アイスクリームが欲しいためだけに戦うようになっている事はないでしょうか。

(後略)

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「闘い」という事ではないのですが、最近偶然「珍しい特別なアイスクリームがここで
なら手に入る」という類の宗教宣伝に引っかかってしまった人の独白を目に
しました。

アイスクリーム(に似たもの)を受け取る事で、本当は自分がただ利用される
だけなのですが、真剣であればあるほど、宣伝が巧妙であるほど、中々気づき
難い面があるようにも思います。

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