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80年代に出版されたルネ・ヴァンダール氏の本からです。
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ギリシャや古代文明の栄えた国々にはみんな立派な白魔法の学校が
あり、これらの学校の門柱の上には、
「この門に入る者は、ただ光のみを負うて来たれ」
とか、
「真に学ぶ意義について知らざる者は入る事あたわず」
というような言葉が掲げられていました。
「ただ光のみを負うて来たれ」という意味は、世俗的な富や名声に
わずらわされる事なく、真にただ一人の人間として、無一物の
生まれたままの自分に立ち返り、ただ輝かしい理想と未来を
照らす光だけを背に負うて、学びにいらっしゃいという事です。
また、「真に学ぶ意義について知らざる者は」という意味は、
学問というものは、単に世の中を渡ってゆく技術を学ぶという
事ではなく、いかに人間らしい心と心の触れ合いのある人間を
作ってゆくかにかかっている、という事がわからない者は、
入学しないで下さいという事なのです。
確かに、数学や英語をねじりハチマキで頑張って勉強しても、
受験に失敗すると、金属バットで両親を殴ってしまうようでは、
何のための学問かという事になりますね。
今、学園暴力が話題になっていて、あなたの学校でも一つや
二つはそんな傾向が見られると思います。
受験指導員と成り果てた先生と学問と社会に対して、疑問いっぱいの
生徒との間に断絶が起こるのは当たり前です。
数学の問題を解くのは人より倍かかっても、道端に咲くたんぽぽを
踏まずによけて通る心の持ち主の方がずっと尊いように思います。
神秘学の学校では、学業ではなく「業学」、すなわち、実際に行う事を
先にして、後からそれを学問で充足するという、のんびりしたやり方を
します。
だから、落ちこぼれというような事はないのです。
しかも世の中に出てからの実力は、絶対にガリ勉型の人にも負けません。
何しろ業が先に立ってますから、生きてゆく上ではむしろ、根性が
出来ているという事が言えるでしょう。
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何とかの神示だとか、どこか別の所や本で読んだような教祖の霊的体験自慢、
秘伝大売出しが当たり前のようになっている今の時代、
「この門に入る者は、ただ光のみを負うて来たれ」
「真に学ぶ意義について知らざる者は入る事あたわず」
といった言葉は却って新鮮な響きを持って聞こえてしまいます。
古代の各地に点在した神秘学のスクールに入学出来たのは少数の、
一握りの人間であったようですが、現在かつてないほど人口が増加した
からと言って、入学出来る資格や資質を持った人間の数が大きく増加
したという事ではないと、個人的に思います。
色々な宗教団体の宣伝を見かけますが、「ここに入って指導を受ければ誰でも
成就できる(特別になれる)」とか、「教祖は、私はこんなにも偉大である」
「特別な秘伝を与えている」というような宣伝を大きくやって人(客)集めを
やっているような所は、誰でも絶対に避けるべきであると思います。
80年代に出版されたルネ・ヴァンダール氏の本からです。
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ギリシャや古代文明の栄えた国々にはみんな立派な白魔法の学校が
あり、これらの学校の門柱の上には、
「この門に入る者は、ただ光のみを負うて来たれ」
とか、
「真に学ぶ意義について知らざる者は入る事あたわず」
というような言葉が掲げられていました。
「ただ光のみを負うて来たれ」という意味は、世俗的な富や名声に
わずらわされる事なく、真にただ一人の人間として、無一物の
生まれたままの自分に立ち返り、ただ輝かしい理想と未来を
照らす光だけを背に負うて、学びにいらっしゃいという事です。
また、「真に学ぶ意義について知らざる者は」という意味は、
学問というものは、単に世の中を渡ってゆく技術を学ぶという
事ではなく、いかに人間らしい心と心の触れ合いのある人間を
作ってゆくかにかかっている、という事がわからない者は、
入学しないで下さいという事なのです。
確かに、数学や英語をねじりハチマキで頑張って勉強しても、
受験に失敗すると、金属バットで両親を殴ってしまうようでは、
何のための学問かという事になりますね。
今、学園暴力が話題になっていて、あなたの学校でも一つや
二つはそんな傾向が見られると思います。
受験指導員と成り果てた先生と学問と社会に対して、疑問いっぱいの
生徒との間に断絶が起こるのは当たり前です。
数学の問題を解くのは人より倍かかっても、道端に咲くたんぽぽを
踏まずによけて通る心の持ち主の方がずっと尊いように思います。
神秘学の学校では、学業ではなく「業学」、すなわち、実際に行う事を
先にして、後からそれを学問で充足するという、のんびりしたやり方を
します。
だから、落ちこぼれというような事はないのです。
しかも世の中に出てからの実力は、絶対にガリ勉型の人にも負けません。
何しろ業が先に立ってますから、生きてゆく上ではむしろ、根性が
出来ているという事が言えるでしょう。
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何とかの神示だとか、どこか別の所や本で読んだような教祖の霊的体験自慢、
秘伝大売出しが当たり前のようになっている今の時代、
「この門に入る者は、ただ光のみを負うて来たれ」
「真に学ぶ意義について知らざる者は入る事あたわず」
といった言葉は却って新鮮な響きを持って聞こえてしまいます。
古代の各地に点在した神秘学のスクールに入学出来たのは少数の、
一握りの人間であったようですが、現在かつてないほど人口が増加した
からと言って、入学出来る資格や資質を持った人間の数が大きく増加
したという事ではないと、個人的に思います。
色々な宗教団体の宣伝を見かけますが、「ここに入って指導を受ければ誰でも
成就できる(特別になれる)」とか、「教祖は、私はこんなにも偉大である」
「特別な秘伝を与えている」というような宣伝を大きくやって人(客)集めを
やっているような所は、誰でも絶対に避けるべきであると思います。