宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「言葉と流れ」

2008年05月08日 | Weblog
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宇崎竜童・阿木耀子御夫妻は非常に神秘的なものに関心を抱かれて
おられ、80年代ぐらいには精神世界関係の本の中でインタビューや
対談にしばしば登場されていました。

色々な事を語っておられたのですが、その中で「言葉」に対して感じた
印象をさりげなく御夫妻が語っておられた事があり、短いのですが
個人的に非常に印象に残りました。

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宇崎:「王さんがいつもグチを言わないように、と仰るけど、グチは
一番ダメ!」

阿木:「そうなの。
最近若い人が『私はもうオバンだから』何てサラッと十代で言うでしょ。
もう信じられない!
自分で言うくらいだから、20歳過ぎたら本当にオバサンになると思い
ますよ。
自分が口に出して言った時から、それは現実になってしまうのに。
十代の女の子が、人生の半分まできたような事を言うのは、それは
その子が自分から人生を終わらせているようなもの。
生命に対する侮辱ね。
それくらい大きな問題よね。
『自分なんかダメだから』なんて言わないで、いつだって自分に対して
良い暗示をかけるべきだし、人に対してもそう。
誉め合う事が大切なの。

自分に与えられた生命力・エネルギーが10あったら、それを10のまま
終える事は罪だと思います。
10を3ぐらいで終えるのは、もう話しにならないけど、10を20、30にして、
人生を終える時に、生命の根源に頂いた10は御返しして、差額で
残ったものが、その人の本当の人生なんだと思います。」

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自分が発する言葉の影響を考慮するという事は、21世紀になってから
特に精神世界や成功哲学の中で言われるようになったと記憶して
いますが、自分が上手く立ち回るために嘘をついたり、何かにつけて
相手をこき下ろすような言葉を発するという事は、結局自分の首を
絞めたり、自分の道を閉ざすという事になるのかもしれません。

また阿木氏の「与えられた生命力の御返し」の考え方にも、
個人的に共感させて頂く所がありました。

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