「異次元体験・アストラルトリップ」の続きです。
この本の著者の佐伯マオ氏は、神道研究の専門家では
ありませんでしたが、「人はなぜ生きるのか?人間は霊的存在で
あるならば、どう生きるべきか?」という観点から、古今東西の
霊的な叡智と、その共通性に注目し、過去に執筆活動をされた
方で、この本の中では、「岩間山人と三尺坊」「古神道秘話」
などの戦前の資料を基に、平田篤胤先生の「仙童寅吉物語」、
柳田泰治先生の「仙界真語」、そして宮地堅磐先生の「異境備忘録」の
抜粋が、現代語訳にされて紹介されており、わたくし自身がこの本を
初めて手にしたのは中学生の時でしたが、日本の異境参入譚について
知ったのは、この本がきっかけでした。
この本では、巻末に、本田親徳の鎮魂法と、三田光一による「精神旅行
(幽体離脱)」の実践法がありますが、その前章までに、古今東西の
異境参入譚の紹介を通じて、「慢心したり、精神が高められていなければ、
高い幽界に行く事は出来ない大原則があり、また霊的な知識だけでなく、
幅広い知識の吸収などによる、理知の啓発が欠かせない、そして
日常生活を疎かにしてはいけない」という事が、強調されていました。
今回はこの本の中から、「神仙界にトリップした宮司・宮地堅磐」を抄掲
させて頂きます。
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次に紹介するのは、10歳の頃から神仙界に出入りし、高次の存在から
多くの事を学び、肉体を捨ててからは、神仙界に入ったという人物である。
名を、宮地堅磐という。
高知県にある潮江天満宮の宮司で、代々350年に渡って宮司を務めたという
由緒ある家柄である。
宮地堅磐に神仙界へのトリップを手ほどきしたのは、その父である常盤
である。
常磐は厳しい修行を通して神仙界に出入り出来るようになった人物で、
その熱心さが神々に認められ、神仙の術である、「飛行の法」や「水上
歩行の法」を授けられた。
ところが、である。
常磐はそうした事がよほど嬉しかったものか、決して人には言っては
いけないその術を、周囲の人に話してしまったのである。
そのため中風になってしまい、手足は自由に動かないし、折角授けられた
術も、どんどん忘れてしまった。
それでも折に触れては、まだ憶えている部分を話すものだから、遂には
口もきけなくなってしまった。
それでも神々の慈悲によって命までは奪われず、その後22年間生き続けた
という。
だからその息子・堅磐が父からの手ほどきを受けたのは、わずかの間
だったろう。
しかし、幼い頃からの父の厳しい修行の様子を見てきたので、それなりに
自分で行い、その上素質もあった為に、10歳という幼さにして神仙界に
トリップし、そこで師まで得ている。
その師は川丹先生という名の、高次存在であった。
(中略)
現界と神仙界を行き来しつつも、そのバランスを崩す事なく、地に足をつけた
生活を送ったのである。
そして、神仙界の実情を見聞する一方、現界においても勉学に励み、学識の
深い知識人だった訳である。
そうした見解から神仙界にトリップしているので、見てきた事を冷静に判断する
能力も持っている。
そして、その能力を持って、数多くの著作を書いており、それらは3ヶ所に
分けて保管されていた。
その場所とは、高知図書館、潮江天満宮社務所、分家である北村家である。
しかしどうした事か、それらの殆どは、火災に遭って消失してしまっている。
第二次世界大戦の時に大部分が、そしてまた原因不明の火災で残りが灰と
なって、消えているのだ。
こうした貴重な文献が、偶然消失するとは考えられないので、あるいは広く
人間に見せるべきではない秘事が記されていたのかもしれない。
そして、残されているのが、「異境備忘録」という著作である。
これは、わずか100頁あまりの小著に過ぎないが、その内容は驚くべきもので
ある。
とにかく、異境で見て来た事が、箇条書きで書き連ねてあるのだ。
「仙童寅吉物語」や、「仙界真語」のように聞き書きではなく、自分の目で
見てきた事を書いたという事が、大きな特徴である。
見出しも何もなく、最初から最後まで、ただ箇条書きに書き連ねてある一種の
メモ(要するに備忘録だ)のようなものなので、雑然としているきらいはあるが、
その内容は、非常に興味深いものだ。
以下、抜き出して紹介したいと思う。
………
●人間が死に臨んだ時、その時の心の状態によって、死後の霊魂の鋭敏さと
鈍感さが決まるし、行き先が高い所か、低い所かも決まるものである。
●神仙界では、人間の死期を尋ねるのはタブーである。
もし尋ねても、月日のみ教えて何年かは言わなかったり、また他の誰々が死ぬ
年月日と同じだ、という教え方をする。
決して正確な死期は教えない。
これは神仙界の厳重な秘密であり、幽冥界での掟でもあるらしい。
川丹先生にこれをしつこく尋ねて、御怒りを買った事があるくらいである。
●幽冥界に入った人に、何か食べ物を送りたいと思ったら、その人の名前を
呼んでお供えすればよい。
そうすると、幽冥界にいるその人の目の前に、直ちにその食べ物が現れる。
それを食べる真似をすれば、お腹が一杯になる。
これは、食べ物の正気を食べるためで、供えた物が見た目には減っていなくても、
ちゃんと食べられているのである。
旅行中の家族や、戦地に行った人に陰膳を供えるという風習は、ここから
来ている。
●幽冥界のどの世界に行く時でも、その世界に入る時と出る時は、必ず飛行する。
が、そこに入ってしまうと、その世界の上を飛行してはいけない規則に
なっている。
どんなに尊い神々に出会っても、必ず歩いている。
以上のような調子で、堅磐が見てきた幽冥界の様子が記されている。
さて、では最後に、川丹先生が堅磐に与えた、中々厳しい忠告を御紹介しよう。
それはこういうものだ。
「書籍を沢山読んで、大して判ってもいないのに、何もかも判ったような気に
なって、学者気取りになり、愚かな人を見下す。
明らかに無理な事でも、道理が通っているように言い曲げ、変わった事を
言ったりする事を好む。
あるいは、神などいる訳はないといって、自分より高い地位に人をそねみ、また
神典などの悪口を言ったり、そしったりという事ばかりしている。
こういう人が命が尽きると、幽冥界があるという事を知らないので、死後非常に
狼狽し、自分の行く所が判らない。
そうしてうろうろしている内に、同類を増やそうとしている魔神の世界に
引き入れられて、神の世界には決して行く事が出来ない。
不自由な思いをし、長い間に渡って苦しみを受ける事になる。
こういう人は、大変数が多いのである。」
肉体の死後、幽冥界のどの世界に入るかは、現界での心がけが大切だと
いう事だろう。
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「タケちゃんの思わず笑ってしまいました その1」
http://www.youtube.com/watch?v=lJd382TUGh0
丁度バブルの華やかな頃で、かなり番組制作費をかけている事が
窺えますが、沢山の食材を非常に無駄に費やしてしまったり、生きている
伊勢海老もごみのように扱ってしまったり、見ていて個人的に、少し辛く
感じる所もありました。