宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「共感し、意義ある関係」

2009年10月11日 | Weblog

(画像はクリックされましたら拡大します。)

画像は昔の雑誌の付録で、「ゾロアスターの神託・タリズマン
シール」の一部です。
説明では、
「これはゾロアスターの神託の呼ばれるタリズマンで、古代
ペルシアの拝火教の開祖、ゾロアスターに下された神託の
力が込められているもので、宇宙創造の秘密を表した
シンボルを操る事で、世界に満ちている不可視の力を
手に入れる事ができるとされており、いつも目に付く場所に
貼ったり、持ち歩く事で、シンボルの力が発揮される」
という事でした。

80年代辺りから、コミュニケーションの機会は多いのに、
人間同士の関係は深まらなくなった、言葉や会話は多いのに、深い
人間関係を避ける人が増えてきたといった事が言われ始めるようになりましたが、
携帯電話やネットが普及している現在、そうした事はますます増加した
ように思われます。

70年代末に、ルネ・ヴァンダール氏は、会話と、人間同士の共感し、
意義ある関係を持つ事について、このように書かれていました。

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無神経に、そして無駄に言葉が浪費されている世の中で、もう一度、言葉に
ついて考えてみる。
これが、この章のテーマです。

人間の特権である情報伝達手段としての言葉のうちで、最も基本的な、
「おはよう、ありがとう」。
こうした言葉が使われる頻度が低い事は、その人の人間らしさの程度の
低い事を表します。

丁寧な言葉で話しかける事によって、相手を尊重する。
無作法な口のきき方しか出来ないのは、自分にも尊重さるべき人格がないことです。

疲れた、暑い、寒い、空腹だと、やたら口にする事も、精神の貧困です。
泣き言を並べる、軽蔑される事はあっても、真の理解は得られません。
自分を駄目な人間だと宣伝する事も、泣き言と同じです。
そして、本当に自分を駄目にしてしまいます。
酔ったから言う訳ではないと前置きして言うこと、その中にはどれほどの真理が
あるでしょうか。

言葉にはもっと注意を払って、大事に使いましょう。
相手を尊重し、しかも自分の真意を確実に伝えられるようになること。
議論にならない議論をしたり、意味をなさない発言をする。
沈黙は金です。
ダジャレを言う事をユーモアと勘違いして、会話を無意味なものにしてしまう。
ユーモアとは、もっと高次元の批判精神に属することです。
そして、笑いにも、低いくすぐりによる笑い、類人猿や犬にもある笑いと、人間らしい
高笑いがあることを知って下さい。

対話とか、コミュニケーションという事がしばしば言われます。
コミュニケーションとは、共感し、意義のある関係を創り出す事を言います。
互いに理解出来る共通の言葉を必要とします。
雄弁であり、説得力があるのは、人間としての真の自覚に立つ発言だけです。
巧言令色や美辞麗句による嘘ではなく、相手の魂を揺り動かすこと。
それが人間にだけ出来る、本当のコミュニケーションです。

空しい言葉、無意味な発言をどれほど交換した所で、それは対話ではないのです。
魂のこもった言葉を使うように心がけましょう。
この事も、練習を要することです。
反射的に出てくる言葉だけが、言葉ではありません。
心の深い部分から注意して選び出されたものこそ、真のコミュニケーションです。

夜中に一匹、犬が吠えはじめると、近所の犬もみな真似して吠える。
既製品のボキャブラリや、安物の流行語では間に合わない、一個の小宇宙である
人間としての自分を表現し、それに共感し、意義のある関係を創り出す事の出来る
相手を見つける。
遠吠えのコーラスには、低い快感しかありません。
それは伝達することすら持たない、空しい空気の振動でしかないのです。

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