画像は、80年代にマイバースデイ系誌で、敖広(アオ・コアン)氏
という方が紹介されていた、自然のエネルギーを簡単な
動作によって吸収する气功の一つです。
洋の東西、宗教や民族の違いを問わず、神人、仙人、大聖、ラマと
呼ばれるような人達の中には、、亡くなる際、もしくは亡くなった直後に、
遺体が完全に自然消失してしまったり、頭髪や爪だけを残して、
体が完全に消えてしまったり、もしくは反対に、防腐処置を施しても
いないのに、数百年しても遺体が全く腐敗しないなどの現象が報告されます。
またそのような、神人、仙人、聖人と称されたり、見なされるような、やや
特殊な人の場合、存命中には誹謗や迫害を受けたり、追放されたり、濡れ衣を
着せられたり、また60年代以後の民主主義国家の基準であれば、全く罪に
問われないような事で投獄されるなど、非常に不遇な状況に置かれたり、
場合によっては、それによって命を失ってしまう、そのような事も少なくないようです。
以下のものは、1856年の南アフリカの話しですが、この人も、そうした聖人の
中に数えられるのではないかと思います。
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場所は南アフリカのケープタウン(喜望峰)。
死刑囚、ジョン・ゲブハートの刑の執行が、1時間後に迫っていた。
彼の為に訪れた神父が、最後のお祈りを終えると、ゲブハートは聖書を
受け取り、こう語った。
「これは、私の生命と同じくらい大切なものです。
だから、私は神に誓って言う。
私は決して、ピーラー・ピリアーズを殺してはいない。
私は本当に無実なのです。」
10分後、執行官が、農夫ピーラー・ピリアーズの殺害のかどにより、ゲブハートを
絞首刑に処す旨が記された文書を読み上げた。
この間、ゲブハートは、声を限りに何度も叫んだ。
「違う!!私は何もしていない!!」
彼の必死の叫びも虚しく、結局絞首台への短い道のりを、一歩一歩味わう
ようにして、歩まなければならなかった。
やがて黒布が頭にかけられ、神父が祈祷文を読み始めると、
「そんな事は止めて下さい!
私の肉体は滅んでも、魂までは殺す事は出来ません。」
と口にし、いよいよロープが首にかけられると、
「私は墓の中に入らない。
入れる事など出来る訳がない。
聞こえたか、私はシロだ。
だから、囚人の墓などには入らないのだ!!」
と、大声で言い放った。
しかし、その訴えが終わるや否や、ガタンと踏板の外れる音がし、ゲブハートは
その一生を終えた。
時に、1856年11月の事である。
獄吏は、彼の遺体を納めた棺桶の蓋を厳重に打ち付けて封印し、監獄の
裏山の中腹にある墓に、深さ2.5メートルほどの穴を掘って、埋葬した。
武装した守衛が2ヶ月間に渡って、昼夜を問わず監視する事になった。
その1ヵ月後、ピーラー・ピリアーズ殺しの真犯人が挙げられた。
犯人の名は、ピーター・ローレンツといい、彼が被害者の財布を持っていた事から
足がついたのである。
ローレンツは、ピリアーズを殺した後、ゲブハートに容疑をかぶせ、目撃証言さえ
行っていたのだ。
ローレンツは全てを自供し、ゲブハートの無実が証明されたが、彼はもう
この世にはいない。
役所は、彼の母親に1000ポンドの一時補償金と、年間108ポンドの補償する事を
約束する。
早速、ゲブハートの墓が掘り起こされ、彼の亡骸が、清らかな別の場所に
移される事になった。
ゲブハートの母親が見守る中で、静かに棺が引き上げられ、棺の蓋が
開かれる。
が、棺の中は、もぬけの殻だった…。
封印は確かに葬られた時のままで、しかも、誰も触れたような形跡が
ないのにだ…。
月日は流れ、この出来事から100年が経った1956年8月のある日、森の中に
ピクニックに出かけた人達が、大理石で出来た石碑を発見した。
そこには、「ジョン・ゲブハートに捧ぐ。
デウス(神)のみ手に、安らかならんことを」
という碑文が刻まれていた。
この石碑は、ケープタウンにあるパール博物館に、今も丁重に保管されて
いるという。
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