上野みえこの庭

日本共産党熊本市議の上野みえこのブログです。

侵略戦争美化・憲法改悪の安倍政権、早速市議会へも「安倍」カラーが・・・・12月議会最終日討論

2013-01-04 19:11:29 | 議会活動
侵略戦争を美化し、憲法改悪を強行にすすめようとする安倍政権のカラーが、早速市議会にも表れています。

昨年末、総選挙と同時に開会した12月熊本市議会には、自民党から「新たな枠組みによる徳育の教科化を求める意見書」案が提案されました。侵略戦争を美化するような安倍首相の特異な考えを教育現場に押し付けるような「意見書」は通すべきでないと、反対討論をしました。


(意見書案への反対討論)

 2006年12月、当時の安倍内閣のもとで、教育基本法の改悪が行われ、元安倍首相肝いりで立ち上げられた「教育再生会議」は、改悪教育基本法の具体化として、「徳育の教科化」や「授業時数の10%増」などを盛り込んだ学習指導要領の改訂をすすめようとしました。現行の「道徳の時間」を「徳育」として「教科化」するのは、国が検定する教科書などで、特定の価値観を子どもに押し付けることを狙いとしており、憲法が保障する「思想・良心の自由」に真っ向から反するものでした。当時、マスコミでは、「教科にすれば文部科学省による統制が強まり、微妙な価値観を含む道徳教育が硬直し、画一化する懸念がある」(日経)と批判されました。しかも、政府が押し付ける特定の価値観が復古調であることにも「徳育が昔の『修身』のような授業として復活を目指すのなら、批判は相次ぐだろう」(東京新聞)とも指摘されました。
 現場からも、「戦争賛美の教育を押し付けるな」という声があがったように、侵略戦争を支えた戦前型の教育にもどることは許されません。市民道徳の教育は、憲法にもとづき基本的人権の尊重を中心に、自主的にすすめるべきであり、現場の創意工夫がかぎです。特定の価値観をおしつける「徳育の教科化」は必要ありません。
また、「徳育の教科化」を検討していた教育再生会議は、その委員として教育研究者を加えず、会議はマスコミにも非公開という、他の審議会では考えられないような運営が行われていました。このような密室での、専門的な見地を全く欠いた状態の論議によって、当時の元安倍首相の戦前回帰的な発想や財界の競争至上主義の考え、「日本の戦争はアジア解放のためだった」などという、きわめて特異な価値観、戦前型教育の復活を子どもに無理やり押し付けようとするものでした。
結果的には、2007年10月の中央教育審議会の道徳教育を議論する専門部会で、教育再生会議が提唱した「徳育の教科化」は見送られました。当時の専門部会では、「道徳教育の教科化を有力な選択肢とすべきだ」との意見も出されましたが、「良心の自由との関連などハードルも多く、決めるのは拙速だ」「教科にすれば重視されるというのは安易だ」など反論も相次ぎ、まとめとしては、教科化は「一つの選択肢」と指摘するにとどめられました。それは、元安倍首相がすすめてきた特異な価値観に立った「教育再生」路線が、国民世論の前に、行き詰まった結果です。
今回、提案されております、「徳育の教科化を求める意見書案」は、任期途中で政権を投げ出した元首相が頑強に押し付けようとしていた特異な価値観、過去に葬り去られた亡霊のような考えをよみがえらせるようなもので、到底容認できません。「道徳教育の教科化」は、新たな枠組みどころか、過去の遺物です。
また、意見書案では、いじめや非行の広がりが道徳教育によって改善されていくかのように述べられています。「改悪教育基本法」に基づき、2008年に改定された新学習指導要領では、改悪教育基本法の教育の目標に掲げられた「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」を特に強調する形で、「道徳教育」をすべての教科や活動で行うことを明記し、各学校への「道徳教育推進教師」を配置するなど、教育の国家統制を強めるものとなりました。この指導要領改訂で示された「道徳」教育の推進は、指導要領どおりに道徳を教えるかまで点検させるというような押し付け的やり方で、復古的かつ形式的なものであり、肝心な基本的人権や子どもの権利の見地を全く欠いたものです。
必要な「道徳教育」というならば、子どもを人間として尊重する姿勢を学校生活全体に貫くことを、道徳教育のかなめに据えるべきです。
いじめや非行・校内暴力・学級崩壊・自傷行為など、子どもたちの様々な心配行動の背景には、子どもたちが日常的に強いストレスのもとにおかれ、過去とは比べ物にならない苛立ちを抱えているということがあります。そこには、教育自体が競争的で管理的になっているということを考えないわけにはいきません。受験競争の低年齢化、塾通いの増加など、競争の激しさや忙しさが、子どもたちをバラバラにしています。ユニセフの調査では、「孤独を感じる」日本の子どもの割合は29・8%、他国と比べても異常に高くなっています。のびのびと育つべき多くの子どもたちが、苛立ちをマグマのようにため、強い孤独感に包まれていることは、過度の競争による教育や貧困に象徴される社会のゆがみによるものです。今必要なことは、すべての子どもたちが人と人との間で生きる喜び感じられる教育と社会のありようです。
改悪教育基本法の目指す「愛国心教育」や競争教育を推進する具体策として、「道徳教育の教科化」を押し付けることは、教育の自主性を侵し、子どもたちの柔らかい心を国の鋳型に押し込めるようなものであって、求められる教育に真っ向から反するものです。
子どもたちの苛立ちや孤独感の裏側にある、「自分らしく生きたい」「本音で語り合える友達がほしい」「生きづらさを受け止めてほしい」という願いや声をしっかりと受け止め、国連・子どもの権利委員会から日本政府に再三にわたって勧告されてきた「過度に競争的な教育制度」から脱却し、すべての子どもたちの持てる能力を豊かに伸ばす教育と学校制度の在り方こそ、模索されなければなりません。それは、国民の英知を集め、現場の声が生かされる、憲法に基づく教育をすすめていくことです。
以上のような理由から、「新たな枠組みによる徳育の教科化を求める意見書」案に反対致します。
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