日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

自由は手に入れたけど

2021-02-17 | Weblog
今朝の新聞の国際面に出ていた記事を読んで考えさせられた。

見出しは「カダフィの安全」惜しむ避難民
2011年、民主化運動によって独裁者カダフィ大佐が殺害された、アラブの春から10年。
30万人を超える避難民は自由の代わりに手放した「カダフィの安全」を惜しむ。
いま食事のお金もなく、カダフィを倒したのを後悔しているというリビア難民。
カダフィ大佐の治世では言論の自由は皆無だったが、福祉が充実し犯罪も少なかった。
いまリビアは欧州行きを目指す不法移民の温床となった。
カダフィ時代は電気が使えて夜でも外出でき、独裁でも自由だった。リビアは無法地帯となった。安全が無ければ言論の自由もあり得ない と住民は言う。         配信元はイスタンブール共同通信
                  
自由は素晴らしいものだと信じていたが、失ったものは大きかった。
彼らが夢見ていたものは何だったのか。
コメント (2)
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