あまり小難しいことを書く知識も能力もないが、先週ブリュッセルでまた起きてしまったテロのニュースを聞きながら、昔見たドラマを思い出した。
もうずいぶん前にここで書いたのだが、ドラマでは米統合参謀本部議長と、大統領首席補佐官が深刻な顔で語り合っている。
「君は平時と戦時の区別がつくか?戦争のプロである私にもわからない。
・・国際法は平時と戦時がはっきりわかれた時代に作られたものだ。
我々は任務の成功を、作戦の成功と、民間人をどれだけ犠牲にしなかったかで評価する。テロリストの基準はその逆だ。
妊婦が爆弾を抱えてやってくる。そんな奴らに国際法は適用しない。自然の法則すらも適用されない!」
統合参謀本部議長はこう怒りをあらわにする。会話ではその一方、アメリカがかつて、(日本海軍の山本五十六長官を)個人攻撃したことで、自ら国家間の戦争という行為を変質させてしまった、と語っている。
ドラマではアラブの架空の国の閣僚を暗殺する、という話からこういう会話になっているわけだが、アメリカ(英国)はこのほかにもドイツや日本の都市への無差別爆撃により、非戦闘員を大量に殺戮するという、戦争の本質を変える行為をこの時期に行っている。まあ、アメリカだけではなく、ドイツ、日本もその前にやっているし、日本も結果から見ればただ人の命を奪うだけの作戦を実行している。
さきのブログでは、戦争の本質というのはお互いに堕ちていくことだ、と結論付けた。
今思うのは、ひとは何かのきっかけで悪魔に魅入られてしまい、そうなるとひたすら他人の命を奪うことに駆り立てられる、ということだ。
いろいろな大義名分や、美化された名目はあると思うが、戦闘という行為の、本当の本質はそれなのではないか。
国家間の紛争があったとして、外交手段で話し合う、その延長として軍事的な示威行動がある、というのは良いとしよう。
そういうことにはルールや駆け引きがある。しかし、その先に一歩踏み出せば、あとは悪魔の思うままになってしまう。
いろいろあっても、今は国同士はそうやすやすと悪魔の手に落ちないから、きちんと組織化されていない連中に、狙いが移っているのかもしれない。
まあ、おとぎ話っぽくて、あまり説得力がないけど・・。というか、小学生みたいな結論だな。。