干支が一回りしましたが、今年も3.11のことをしのび、当時歩いた道をたどってみました。
今年は11日が土曜日なので、一日早く10日(金)夜に決行。
それと、コースも変則です。
12年前は丸の内のオフィスから歩いて、新宿御苑付近にあった父のオフィスに立ち寄りました。そこで少し休んで、父を伴い親戚の家に行きました。
例年、丸の内から父のオフィスまでを歩いて、その先は省略していますが、今年は親戚の家付近まで歩きました。但し出発点は今の自分のオフィスからとしました。
当日は日比谷付近の歩道もかなり混んでいたし、色々心配しながら歩いていたので、ずいぶん遠い道のりに感じていました。議事堂、官邸付近は暗く、溜池辺りに出たときは少しだけほっとしたものです。
四谷に抜ける道がまた狭く暗い道で、この辺りから少し疲れも加わってきたのを覚えています。
この辺でだんだん疲れるってのは、今もそうです。
前半を省略したせいで、行程はだいぶ楽でした。
この日はまず4月並みにあったかくて、花粉がひどいために目と鼻がどうも具合悪く、さらに道を歩く人がものすごく多いのが気になって、ちょっとあの日感がそがれました。。
バスタの辺りはストリートミュージシャンやキャリーバッグ引っ張る若者でいっぱい。新宿の飲み屋さん街もにぎやかで、日本も本格的にアフターコロナです。昔と多少違うのはそら当然の話です。
当日泊めてくれた叔母が今年亡くなって、それで今年はここまで来ることにしたのでした。。
既にパンなどがなくなりかけてた、コンビニで買ったカップヌードルシーフード味を、父のオフィスで食べました。叔母の家に行ったら、たくさんのご飯を炊いてくれていて、がんばってこれも食べました。翌日もご飯をたくさん出してくれた。
テレビでは仙台空港の様子、空撮で一面畑のところに水が迫ってくる様子が映し出され、叔母とうわあ、とか言ってみていました。
防災服を着た、枝野官房長官の記者会見を見ながら、叔母が「ほら、見てあの耳!」と言ったのを覚えています。福耳なんですよね。
祖父(僕が生まれる前に亡くなっている)が、戦前に近衛連隊にいたころの写真を見せてくれました。若いころ、街に出て何か言われたら、私のお父さんは近衛兵なんだよ!といいなさい、とか聞かされていたとか。
翌朝、亡くなった叔父の服がちょうどぴったりだと言って、シャツやジャケットをいくつかくれた。シャツなどは少し着たりしたが、転居までに処分してしまって今はもうない。