先日行った宇都宮ライトレールの終点付近。移動範囲が限られているので電線が見えますね。。近頃は加工で消せるみたいですけど。
今月に入ってから改めて「日本の一番長い日」と「ヒトラー最後の12日間」を観て(DVD録画)、書籍で高見順「敗戦日記」夢声戦中日記(敗戦の記)を読み返している。
それで、今更ながら気が付いたこと(これを読まれている方は勿論、世間の皆さんは色々お詳しい方も多いので、恥ずかしながらですが)・。
映画では示されていないが、いわゆるドイツ国(ナチス政権下)の後を受けてフレンスブルクに設置された臨時政府はわずか3週間で解体され、その後東西ドイツが成立するまでの占領下において、ドイツに中央政府は存在しなかった。
日本では降伏を巡り政府内で議論が分かれたが、少なくとも国体の護持という点だけは意見が一致していた。その他諸事情もあり、少なくとも形の上では占領統治下においても日本国政府による統治は継続している(沖縄、小笠原諸島、北方4島等を除く)。分割直接統治の可能性も検討されていたといわれる。今日のような日本の姿があるのは決して必然ではなく、あるいは日本人同士で悲惨な抗争を繰り返す歴史が重ねられていたのかもしれない。
イタリアも大戦後半に国が割れた。日本はドイツ介入により成立したイタリア社会共和国を承認し大使館を置いた。一方イタリア王国(連合国に降伏)は戦争末期に日本に宣戦布告している。
日本はサウジアラビアとかイランからも宣戦布告を受けている。最後はソ連も参戦したが、そんな情勢を見たら、誰が見ても絶望的になっただろうな。
それはともかく、今の日本人とその政府、為政者との関係というか、日本人の為政者に対する意識というのは、先の大戦を含むこれまでの歴史が色々な形で影響して、今日に至ってるのかしら、と思ったりした。
余談というか、二つの映画を見ていると、日独政府関係者の敗戦間際の描写が対照的だ。ドイツでは地下壕でダンスパーティをしたり(退廃的!)、飲んだくれた末にピストルで頭を撃ちぬく。日本では青年将校はイキって当たり散らし、閣僚は終戦詔勅の文章を巡って議論している。
なんというか、色々違う。