新潟市内で一泊し、主に日本海東北自動車道を経由して北に向かいます。
今思うと村上の辺りから海沿いの道(一般道)を行っても良かったかもしれません。高速も全通していないので、途中から一般道に入り海側に出ます。
途中道の駅に立ち寄りながら、粛々と進みます。新潟からだとあんがい距離があるのですが、先の予定をはっきり立てていないので、あまり余計なことはせずに進みます。
鶴岡。
この頃、約20キロほど北の酒田や新庄では大雨で大変なことになっていました(改めてお見舞い申し上げます)。
この辺りも、どうなっているのか心配したのですが(実際市内の一部では前日に雨が大変だったようです。さらに言えば新潟市内も相当水が出たようです)、着いてみると市内の川の水かさを含め、特に雨の影響はないようでした。
城下町のイメージでしたが、むしろ文明開化の匂いが。
致道博物館。
市内に残った建物を移築してひとところに集めたそうです。
建物内。
ミニチュアの室内模型が並んでします。
趣味の部屋。作り掛けのボディはコロナ1600GTと見た。。
もちろんミニチュアだけではなく、他の建物では古い農家の民具や、明治時代の警察の建物内の様子を展示しています。
さらに古い、古代の化石とかも見られる。
『さかな』
なんという大まかな。。
農家や幕末期の建物も保存されていますが、明治期の西洋館風の建物がこれだけたくさん残っているのは、少し意外でした。
近くの「致道館」に模型の展示がありましたが、市内中心部(現在の市役所)に明治9年に建てられた西洋風3階建ての学校「朝暘学校 」は、室数が42もある巨大な木造建築で(しかし、完成からわずか7年で火事で焼失してしまった)、この街が明治以後いかにモダンな街に変貌していったかを示すものでした。
今でも地域の銀行とか、大学の研究施設などが立ち並び、この地域の中心的な都市として機能していることがわかります。
まあ、行く前のイメージは庄内藩の城下町で、侍や町人が行き来するようなイメージだったのですが。。
そう、つまり『海坂藩』ですよね。
というわけで、今回最大の目的はこちら藤沢周平記念館でありました。
お昼ちょっと前でしたが、館内お客さんは2人くらいで、ひじょうにじっくりと見て回ることができました。
ひじょうによかったのですが、ここでうまく記述できるようなものもないのですが。。
まあしかし、これが海坂藩か、という聖地巡礼的な。。
ここでも、道中最終区間のあつみ温泉から高速に乗ってしまったので、少々悔いが残ります。そのまま海沿いに走れば「海上藩」もなぞることができたのですが。。ナビに頼りきりではなく、事前に計画を立てることも大切かもしれません。というか最近忘れてました。
鉄道(羽越線)はこのような城下町の定石通り、市の中心部から少し外れたところを通り、そこに駅前の市街地が広がっています。
とりあえず駅に行ってみようかと、車を城址公園に置いたまま歩いたのですが、梅雨明け前とはいえ32℃の炎天下でそれは無謀だったようです。
駅前の商業施設らしい建物に食文化云々と書いてあったので、レストラン街かと思って入りました。
目の前が観光案内所みたいになってて、ちょっと雰囲気ちがうと思ったのですが、とにかく暑かったし、レストランは確かにあったのでそのイタリアンに。
お客さん自分だけ。
ランチ2,200円で高めでしたが、たしかに印象に残るおいしさでした。
鶴岡城址に戻るのは流石に歩くのはやめて、市内循環バス(ハイエースみたいなミニバス)におっかなびっくり乗りました。乗り方がよくわからなくて、「こっち、これ押すの」とかゲラゲラわらいながら教えてくれた親切なおばさんに助けられながらなんとか乗りました。
当地から鶴岡までは新潟経由で行く方法と、東北道から山形を経由して行く方法があります。どちらも450キロぐらいです。帰りはこの山形ルートを使いましたが、やはり一部一般道利用で月山を超えていきます。高速は対面通行で制限70Km、一般道は50か60km/hで流れてますからあまり変わらないです。前後の車と延々一緒に走ることが多いのでちょっと気疲れしますけど。
出がけに満タンにして、新潟から出発するときに再度給油、帰宅してからまた給油して満タンにしました。今回の全行程は968Km, 新潟で21.64l (@165円)、帰宅後33.69l(@156)、燃費は17.5l/km という結果でした。