百菜健美☆こんぶ家族ラボ

おいしい
と感じることは生きる喜びに
そして笑顔になります。
舌で味わい、
目は閉じていても
耳は心で。

放射能の問題は現在進行形・放射能の数字はほとんどが嘘の数字である

2014-12-21 | Weblog

 

放射能の問題は現在進行形でありますが、まず国家が提示している放射能の数字はほとんどが嘘の数字である、ということをあなた方は知っているでしょうか?。

その話題を取り上げるだけで一冊の本ができるので詳しく取り上げませんが、ごく簡単に言えばモニタリングポストの設置に関する情報誘導と、

α、β、γ線などの違い、核種を絞って測定するなどを巧妙に利用した測定値捏造である、ということになるでしょう。

その他細かいことを述べればまさに捏造のオンパレードと述べてよいかもしれません。

放射線には基本的にα線、β線、γ線というのがありますが、基本的に原子炉内の核分裂からはα線やβ線はでません。

たとえばセシウムはβ崩壊を30年間続け、最後の数分でγ線を放出してバリウムになります。

ヨウ素は八日間β崩壊し、最後の一瞬でγ線を放出してキセノンになります。

これらは核分裂燃料中では起こらず、現在の状況でこそ起こることであり、

だからこそ内部被曝にα線やβ線が重視され、逆にガイガーカウンターはγ線を測るものなわけです。

α線は二個の陽子と二個の中性子からなる粒子線であり、紙一枚でも防止できるので通常の外部被曝では重視されません。

ただし活性酸素産生は行われますので内部被曝で問題になります。

β線は電子からなる粒子線で厚さ1cmのプラスチックで止まります。

体内に取り込まれると同様に活性酸素を生じて遺伝子障害をもたらします。

γ線はレントゲンや電波と同じ電磁波であり、これを遮るのは鉛くらいしかありません。

内部被曝というのはα線やβ線が透過性が低いため、体内に入ってきても正確に線量を測るのが困難です。

放射性物質は本来300種類以上あり、それらのどれがどの量、

体内にあるかもよくわかりません。たとえばこれをγ線だけで測定したところでほとんど意味はありません。

一部の測定器はα線、β線、γ線の全てが測れるそうですが、日本国では一般市民が買うのは非常に困難になっています。

行政や大企業からの圧力がある上に、買えたとしても正しい数字が出るものが少ないからです。

占領後にアメリカ軍が行なったことは、原爆の惨状についての報道を禁止し、

『人体実験』についての情報を独占、広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止、

死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否、

そして被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置し管理したのです。

まさに人体実験が目的であったことは多くの資料が明らかにしています。

今も福島原発や日本で起こっていることは同じようなことなのです。

ちなみに安倍総理がオリンピックの会見で、「放射能は完全にコントロールされている」という大嘘をつきましたが、

日本人の多くはこれが嘘だと知らないか、知っていても厚顔無恥かのどちらかであるから困ったものです。

まさにこの国と政治家とメディアたちは、子供を犠牲にして自分たちが儲ける守銭奴たちなわけです。

現在でも海へ汚染水は漏れだし、五号機六号機からは汚染水をそのまま放出しています。

どうしようもない嘘つき政党、それが自民党であり公明党でありその他の政党たちだといえるでしょう。

放射能はどう割引いても危険に決まっています。

しかし放射能だけを必要以上に恐れている人は、添加物や農薬や医学薬や精神医学や、

その他多くの毒性物質への理解がないというに等しいことも確かです。

この放射能問題に関しては、状況と人々の不安を利用する「原子力サヨク」もまたうごめいています。

彼らは毒性物質の根幹については説明しないまま、ただひたすら放射能だけを危険視し家族から金を巻き上げようとします。

なぜならサヨク的な人間とは日本が衰退し家族が崩壊していくことが重要な望みだからです。

そのような人々に騙されることなく全体的な理解が必要となるのです。

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話題を呼んだ食「今年の一皿」ジビエ料理に注目! ファストフードや家庭でも

2014-12-21 | Weblog

 

よく“一流好み”の人がいるが、それはつまりただ世間の、他人の評価を鵜呑みにしてありがたがってることだろう。
 
誰がなんと言おうと、三流だろうが五流だろうが、自分のいいと思うものはいい、という態度を貫かなければ、“ほんもの”なんかわかりゃしないよ。
 
岡本太郎

よく“一流好み”の人がいるが、それはつまりただ世間の、他人の評価を鵜呑みにしてありがたがってることだろう。     誰がなんと言おうと、三流だろうが五流だろうが、自分のいいと思うものはいい、という態度を貫かなければ、“ほんもの”なんかわかりゃしないよ。     岡本太郎

話題を呼んだ食「今年の一皿」ジビエ料理に注目! ファストフードや家庭でも

 

 野生鳥獣の肉を使ったジビエ料理が注目を集めている。

 「蝦夷(えぞ)子鹿の赤ワイン煮込み ちりめんキャベツのカネロニ仕立て」を披露。

 「本来、ジビエは冬が一番おいしいといわれますが、日本では夏もおいしい。季節による味の違いを楽しんでもらいたい」と話した。


 北海道は毎月第4火曜日を「シカの日」とし、エゾシカ肉の消費拡大に力を入れる。道内では、通信販売を行う店が増え、全国へ新鮮な肉が発送されている。

 野生の肉は、硬さや臭みが気になるところ。しかし、北海道エゾシカ対策課は、「それは昔のイメージです。今では、素早く適正に血抜きをし、品質管理も徹底している。北海道の衛生処理マニュアルに従って食肉処理されたものには認証マークが付いています」と説明する。

 エゾシカ肉の価格は、1キロ当たりロース・ヒレが4千~6千円、ももが3千円前後、バラが1千円台と、一般的な和牛と同じくらい。よく加熱するのが調理のポイントで、ザンギ(空揚げ)やハンバーグ、カレーなど、定番の家庭料理にもよく合う。

 「赤身の肉のエゾシカは高タンパク低脂質で、鉄分が豊富。特に、鉄分が不足しがちな女性やアスリートにお勧めしたい」

 【エゾシカのやわらかザンギ】

 《材料・2人分》

 エゾシカ肉(切り落とし) …………200グラム

 A[タマネギ(すりおろし)1/2個分、しょうゆ小さじ4、みりん、はちみつ各小さじ2、ショウガ汁1.5グラム]

 かたくり粉、揚げ油 ………………各適量

 〔1〕ボウルにAを入れて混ぜ合わせ、エゾシカ肉を加えてもみ込む。冷蔵庫に入れて1時間ほどおく。

 〔2〕冷蔵庫から取り出し、肉を丸めて食べやすい大きさに成形する。表面にかたくり粉をまぶして、170度の油でじっくり、カラッと揚げる。

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フランス人シェフが、料理の際に「絶対にやらない」7つのコト

2014-12-21 | Weblog

フランス人シェフが、料理の際に「絶対にやらない」7つのコト

 

「ル・コルドン・ブルー」は28ヶ国で展開している世界的なフランス料理・菓子・パンの学校。初心者からプロフェッショナルまで、幅広いプログラムを用意しており、講師陣は一流のシェフたちだ。そして、その最大の特徴は、テクニックだけでなく、フランスの食文化そのものを伝えていることにある。

では、その模範である「ル・コルドン・ブルー」のシェフたちは、日常でどんな食生活を送っているのだろうか? 実際に彼らに取材した結果「絶対にやらない」7つのコトが浮かび上がってきた!

01.
レシピの通りに
料理をする

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レシピ通りに料理を作ることは間違いではない。しかし、料理を芸術のひとつとして捉えている「ル・コルドン・ブルー」のシェフたちは、レシピに縛られて料理をすることはない。 レシピがあったとしても、そこに自分なりのアレンジを足していく。
季節や食材の質などによって、料理の仕方は微妙にかわってくる。その判断も含めて、料理の醍醐味なのだ。

02.
化学調味料を使用する

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現代の日本の食卓で化学調味料を使用しないのは難しい・・・そんなことはない。実際「ル・コルドン・ブルー」のシェフたちは、日本に暮らしながら、化学調味料を摂取しない生活を送っている。
ドレッシングひとつとっても、シェフたちは化学調味料を使用した市販のものは絶対に使用しない。オリーブオイルとビネガー、塩・コショウを混ぜれば、簡単に美味しいドレッシングが完成する。ひと手間をかけるだけで、健康的な生活が手に入ることを、彼らはよく知っているのだ。

03.
食材の使い道を
固定観念で決めつける

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あるシェフは「フランス料理はモードだ」と話す。フランス料理が世界中で愛されているのは、伝統の上に革新があるところだ。
実際、シェフたちは、食材に関しても「これはフレンチでは使用しない」なんて固定概念にとらわれたりはしない。かつお節やわさび、椎茸や柚子といった和の食材を、楽しんでフランス料理に取り入れている。
そんな彼らが今の時期にオススメするのが「柿」。葉野菜、アボカド、卵と一緒に合わせるだけで、いつもよりちょっぴりリッチな味わいのサラダが完成するのだとか。ぜひ真似したい!

04.
残った食材を捨てる

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食材は鮮度が大事。ゆえに、「ル・コルドン・ブルー」のシェフたちは一気にたくさん購入したり、買いだめすることを嫌う。それでも残ってしまったら?
例えば、それが赤ワインなら、お肉をマリネ(つけ込む)する。一晩置いておくと、肉が柔らかくなり、さらにワインの旨味が肉に凝縮。翌日には、素晴らしいお肉を楽しむことができるというわけだ。

05.
調理の最後に
塩味を加える

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日本ではよく「最後に塩で味を整える」と言うが、「ル・コルドン・ブルー」のシェフたちはあまり最後に塩を加えることを好まない。なぜか? それは、料理の後で足しても、塩が料理に馴染まず、塩味が出にくいから。結果、塩分ばかりが増えてしまうこともなりかねないのだ。 もちろん、メニューにもよるが、塩は料理の最初のほうに入れて、食材に馴染ませるのが基本なのだ。

06.
1本の包丁だけで
全部やろうとする

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フランス料理のシェフたちは道具にうるさい。もちろん「ル・コルドン・ブルー」のシェフたちも同様だ。そんな彼らが薦めるのは、「エコノム」と呼ばれるピーラーのような道具。フランスではかなり一般的なもので、野菜や果物の皮を素早く剥けるスグレモノ。りんごの芯なんかも簡単に取ることができる。
ちなみに、日本でも安価(1,000円程度)で、割と簡単に手に入るので、興味がある方は是非!

07.
缶詰の食材だけで
調理する

tomato

缶詰は便利だが、「ル・コルドン・ブルー」のシェフたちは、缶詰の食材だけで調理することをよしとしない。 例えばトマト料理。家庭では缶詰のホールトマトなどで、料理することが多いが、シェフたちは、煮込み料理ならトマトペースト、炒め物ならドライトマトをそれぞれプラスする。これだけで、普段よりもコクが出て一段と美味しくなるのだとか。

最後に・・・

「ル・コルドン・ブルー」のシェフたちが、もっとも大切にしているのは「衛生的であること」。自分自身とキッチンを清潔に保つことはもちろん、自身が健康的であることも「衛生的であること」には含まれている。
まず自分たちが健康的なライフスタイルを送り、その上で美味しい料理を提供する・・・当たり前のことだが、その当たり前を徹底できるのが、プロなのだ。

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『忙しい人』と『仕事ができる人』20の違い

2014-12-21 | Weblog

『忙しい人』と『仕事ができる人』20の違い
 
1『忙しい人』は、「忙しい」と周りに言えば、「カッコイイ、頑張っている」と他人が評価してくれると思っている。
『仕事ができる人』は、「忙しい」と周りにに言うことは、「無能の証明」だと思っている。
 
2『忙しい人』は、終了時間への認識が甘い。(なんとなく終わったらいいな~的な)
『仕事ができる人』は、絶対にここまでに終わらせるというスケジュール意識が強い。
 
3『忙しい人』は、納期意識がギリギリ。(納期寸前で作業にとりかかるので、その仕事のみに集中してしまう為に効率が悪い。)
『仕事ができる人』は、前倒し。(納期より随分前から作業に取りかかるので、2つ以上の仕事を同時並行処理したりする効率の良い仕事の仕方ができる。)
 
4『忙しい人』は、せっかくスケジュールを作っても、緊急事態・トラブルで乱れっぱなし。
『仕事ができる人』は、緊急事態・トラブルでスケジュールが乱される事がほとんどない。
 
5『忙しい人』は、いきなり仕事にとりかかって仕事にとりかかり、後で段取りを考える。仕事完了に近くなった時点で「仕事の目的と最終完成物」を考える。
『仕事ができる人』は、仕事の始めに「仕事の目的と最終完成物」を明確にし、感性の為の段取りを考えてて仕事にとりかかる。
 
6『忙しい人』は、「プライベートの時間を、とれたらいいな」的にしか考えていない。
『仕事ができる人』は、「プライベートの時間は絶対にとる」と最優先的に考え、その時間をホントに大切にする。
 
7『忙しい人』は、相手の期待よりちょっと低い仕事を行い、手直しで時間をとられる。その為に誉められる事も少なく、モチベーションも上がらない。
『仕事ができる人』は、相手の期待を少し上回る形の仕事を行うので、手直しがほとんどない。そのためお客様や上司から誉められる事も多く、モチベーションもアップしていく。
 
8『忙しい人』は、ホントはやらなくてよい仕事をたくさん抱えている。断るという事が苦手
『仕事ができる人』は、自分しかできない仕事が中心。頼まれた仕事を断る事ができる
 
9『忙しい人』は、段取りの時間を短時間で済まそうと考え、仕事にとりかかって段取りを考える
『仕事ができる人』は、段取りを考える時間を十二分にとって、仕事にとりかかる
 
10『忙しい人』は、自分の性格的特徴を無視し、弱点ばかりが際立つような仕事ぶりをする。結果、成果の上がらぬ努力の時間と叱られる時間ばかりが増えていく。
『仕事ができる人』は、自分の性格を熟知し、強みを最大限発揮し、弱みが目立たぬような仕事をするから早く結果の出る仕事ができる。(自分の性格的特徴が分からない方は、こちらのビジネス特化型の性格検査 UPシステムがオススメ)
 
11『忙しい人』は、根回しがヘタ。仕事が完成した後に、関係者から異議がでて、トラブルシューティングに奔走する
『仕事ができる人』は、根回し上手。仕事を始める前に、重要な関係者をリストアップし、根回しを完了させる。仕事完了後に関係者からの異論はほとんど出ない。
 
12『忙しい人』の優先順位は、納期期限が中心。納期が迫っているモノが優先順位が高い仕事になっている
『仕事ができる人』の優先順位は、仕事の効率とその仕事の目標への寄与・貢献度。
 
13『忙しい人』は、集中できる環境を作る事ができない。電話や誰かが話しかけてきて作業の邪魔をする為に、同じ事を何度も考えないといけない。
『仕事ができる人』は集中できる環境を作る事ができる。誰も思考や作業を邪魔しない環境を作る事ができる。
  
14『忙しい人』は、携帯電話にかける数より、かかってくる本数が多い。
『仕事ができる人』は、携帯電話にかける数の方が多い。携帯電話にかかってきて仕事を中断させられる事態を、先手を打つ事で防いでいる。
 
15『忙しい人』は、自分が他人に頼んだ事を忘れている。頼んだ相手も、頼まれた仕事を忘れており、それがトラブルを生み出す。
『仕事ができる人』は、自分が他人に頼んだ仕事は決して忘れない。時折、チェックも入れるので、相手も忘れることができない。
 
16『忙しい人』は、他人に事を頼むのがヘタ。依頼する際の打合せがヘタな為に、完成物を自分で手直しするのに時間がとられる。(人に頼まずに、自分でやった方が速いといった事になる)
『仕事ができる人』は、他人に事を頼むのが上手。依頼する際の打合せで詳細にイメージ合わせをする為に、完成物の手直しなどがほとんど発生しない。
  
17『忙しい人』は、学習する時間をとれていない。いつまでも同じやり方で仕事をしている。
『仕事ができる人』は、どんなに忙しい時でも学習時間の確保を行っている。学んだ知識をもとに、もっと効率的な仕事のやり方を求めて、いつもチャレンジをしている
  
18『忙しい人』は、同じような仕事でも、イチイチ考えながら仕事をしている。
『仕事ができる人』は、同じような仕事が発生したら、考える事なく、仕事ができる仕組みを作り上げている。
  
19『忙しい人』は、運動などにも時間がとれなかったり、睡眠不足で仕事をしてしまう。時には徹夜も。そのため体調不良をおこしたり、身体に無理して仕事をしてしまう。それが原因のミスも生まれたりしてしまう。体調によりモチベーションも不安定になる。
『仕事ができる人』は、適切な運動を定期的に行い、十分な睡眠をとり仕事を行う。体調不良によるミス、集中力欠如によるミスは少なく、常に安定したモチベーションを維持している。
 
20『忙しい人』は、「忙しい状態」を甘んじて受け入れてしまっている。
『仕事ができる人』は、「忙しい状態」事は絶対にイヤ。受け入れる事ができないと思っている。

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なぜ夫は、妻とのセックスに興味を失うのか

2014-12-21 | Weblog
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流行っています。

吐気が一気に押し寄せ。とっても辛そうですね。

経口伝染するので、予防策は手洗いとうがい。
先ず石けんで手を洗い、次に、
インフルエンザや肝炎予防に直球で届くお茶を飲みます。
喉がいがらっぽくなる前に、
大根水飴を作って置くのも良いでしょうね。

大根を皮のまま1センチの角切りにして瓶に入れます。
水飴をたっぷり入れて、3〜4日冷蔵庫へ。
すると大根の甘いエキスが浮いて来ます。
そのエキスが風邪予防になります。
お湯で薄めて飲んでも良いです。

蜂蜜も殺気力があってとても良いです。
特に殺菌が強いのは、マヌカハニーです。
みかんの皮を陳皮(ちんぴ)と言いますが、
干してミキサーで撹拌して保存すると助かります。

お茶に入れたりヨーグルトに振りかけたり、香りも良いです。

金柑を皮ごと茹でこぼして、
蜂蜜で煮たものを冷蔵庫で保存します。
おつまみの一皿にもなります。
風邪の菌が胃腸に行くと大変です。
その前に予防を是非。

流行っています。    吐気が一気に押し寄せ。とっても辛そうですね。    経口伝染するので、予防策は手洗いとうがい。  先ず石けんで手を洗い、次に、  インフルエンザや肝炎予防に直球で届くお茶を飲みます。  喉がいがらっぽくなる前に、  大根水飴を作って置くのも良いでしょうね。    大根を皮のまま1センチの角切りにして瓶に入れます。  水飴をたっぷり入れて、3〜4日冷蔵庫へ。  すると大根の甘いエキスが浮いて来ます。  そのエキスが風邪予防になります。  お湯で薄めて飲んでも良いです。    蜂蜜も殺気力があってとても良いです。  特に殺菌が強いのは、マヌカハニーです。  みかんの皮を陳皮(ちんぴ)と言いますが、  干してミキサーで撹拌して保存すると助かります。    お茶に入れたりヨーグルトに振りかけたり、香りも良いです。    金柑を皮ごと茹でこぼして、  蜂蜜で煮たものを冷蔵庫で保存します。  おつまみの一皿にもなります。  風邪の菌が胃腸に行くと大変です。  その前に予防を是非。
 
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徳島県海部郡海南町浅川

2014-12-21 | Weblog

郷里・徳島県海部郡海南町浅川

昭和二十一年十二月二十一日午前四時十九分、

母は南海道大地震を体験した。

晩秋の日はつるべ落しのように暮れて行く。

前日、父は伝馬舟に乗り沖へ出た

スルメイカが良く釣れた、ことのほかよく釣れ家に帰る。

とても寒い晩だった。

囲炉裏で火を焚く、そばには万一のためにと、

いつも摺鉢とバケツに水を入れておいた。

その夜は、冬にしては珍しく無風状態で、

あたりは磯の匂いというか、

海藻の匂いが一面に漂っていた。

海辺の町とはいえ海岸からの距離を考えるとなにか不自然で、

また犬の遠吠えと鶏の夜鳴きでとても不気味な夜だった。

湯たんぽを入れた夜具の上に、綿入れの半天を掛けて寝た。

朝方、唐紙がガタガタ梁がギッチギッチ夢うつつ

枕の下からゴーという地鳴りで目が覚める。

下から突き上げてくるような地震に母は雨戸を開けに走った。

父は囲炉裏の火床に摺鉢をかぶせる。

姉と兄は父にしがみつき地震のおさまるのを待った。

わずかな月明かりで見える部屋の畳が

大きく左右に動いているのが分かった。

雨戸を開けに行った母は、道路の小石がパチパチと跳ねあがり、

ちょうどフライパンで豆を妙っているような光景に、

軒下で足がすくんでしまったそうだ。

『津波がくるぞっ』とみなが騒いでいる

山に続く近くの神社の方へ行こうとした時、

浜の方から「潮が狂ったぞー」とけたたましい声。

下を見ていた父が急に

『あの潮見てみい』と言う。

見ると早、西の方から泡のごとく白い潮が飛んで来る。

その早いこと、早いこと。

何どころじゃない。

自分の持ち出しは布団、腋に抱え神社の石段迄来た時

ドッドー、ドッドーと凄じい潮の唸り

ガラガラドッーと潮に呑まれる

必死で石段を上がりつめた。

下を見るゆとりもない。神社の山を登って一息ついた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先年なくなられた

森繁久彌さんがこの昭和南海大地震に淺川(私の郷里)で遭い、

その顛末を『森繁自伝』に記載している。

森繁自伝 

先年なくなられた森繁久彌さんが昭和南海大地震に遭い、その顛末を『森繁自伝』に記載している。彼は戦後の食糧難の時代に、一攫千金を夢見て魚の闇販売ルート確保のために来徳。文中にでてくる「自転車屋君」の叔父が県南の当時の網元で、その網元との話し合いも首尾上々。その夜の宴会では前後不覚になるほどに泥酔し、その翌日未明に地震が発生。

-この喜びを一瞬にしてくつがえすものは、神の力だけである-

午前三時-。暗黒の闇がドシンと大きくゆれたと同時に、寝ている私の頭に異様な物体が落下して来て眼がさめた。はね起きた私は足を払われてステンとのめり、また何かが落ちてきた。地震だ!梁が不気味な音をたててきしみ、いまにもこの家が倒れるようである。真っ暗な中に私は死を待った。連続してゆれてくるこの驚天動地は、私を冷静にとりもどす余裕などない。ようやくゆれがおさまった時に、キナクサイ中から便所の臭気がただよって来た。私は窓を求めて走ったが、下が見えない。後で知ったのだが、そこから飛べば泥坊よけのとがったサクにつきささっていただろう。また廊下の割れたガラス戸から飛んでいたら、下は井戸であった。一度しか昇ったことのないこの建増しの三階から玄関へは、迷路もいいとこで、押し入れにつき当たり、部屋に入り、人影もない旅館の中で、「誰か-誰か-」と絶叫しながら、またまたゆれて来る中を、やっと玄関にたどりついた時は、身体の方々に血を流していた。はだしで表へ逃げ出したら、遠く提灯が動いて、「津波だ、津波が来たぞ!山へ逃げろ!」の声が闇をつんざいて聞こえて来た。「山はどこだ」山も海も分からない。腰が抜けて立ち上がれないのを、誰かがぐいと引っ張りあげてくれた。「山はどっちです」男はむんずと私をだいて山へ走った。これが紀州の大地震であった。(中略)

紀州の大地震のことについては、ことが小説より奇なので、もう少しくわしく書いてみたいのだが、どうにもちょっと心に引っかかって筆が進まない。というのは、その終末が、私にとっては喜劇として終わったのだが、案内役の自転車屋氏にとっては、まことに悲惨な結果と相成ったからである。かいつまんでお話しすると、- 翌朝、二人で自転車を飛ばして、昨日来た道を彼の家へと走ったのだが、何と、途中でびっくりした。山の中腹まで大きな船がのし上がっているし、田圃は一面の泥海と化し、屋根やら材木が折り重なって、一瞬にして起こったこの津波がどんなにひどかったかを如実に見せられた。そして、ようやく彼の村にさしかかると、海岸三メートルほどの石垣の上にあった町は、道の両側の家をきれいに洗い流してあとかたもない。「やあ、家がのうなった!」彼は足をとめて呆然と突立ってしまった。このあたりだろう…と、わずかに土台のコンクリートを探しあてたが、ここが六畳で子供たちがおっ母アとねていた所だ、こっちが土間です、ここには自転車が二十台ほど天井と土間にありましたが…

それにしても、そこが確実に自分の家だというには、これという目ぼしい何もない。わずかに大きなスパナが一挺、土間だと彼がいうくずれたセメントのくぼみに落ちていた。真っ青になった彼は、村の人が避難していると聞いた山へ走った。鳥居をくぐると、大勢の人間がうずくまったり右往左往している。恐怖の一夜があけて、うつろな顔をしている群衆の中を、声もさけよと必死になって彼は子供と妻の名を呼んだ。しかし誰も返事をしない。かけずり廻るうちに、お堂の中からゾロゾロと子供達が出て来た。六人の子供は生きていた。何という幸せだったろう。が、どうしたことか、かんじんの奥さんがいない。「母ちゃんは?」「母ちゃんなア、みんなつれてここまで来たけど、また、お金をとりにもどった-」「そいで帰って来んのか?」「うん」大粒の涙がポロポロといたいけな坊主の頬を流れた。「馬鹿たれが!なんでここにじっとしとらんかったんだ-」わなわなと口をふるわした彼は、飛ぶように走って行った。私も彼の後を求めてそのあとを追い、泥田と化した田圃の中へ入っていった。そして、それから一時間ほど、遂に無惨な対面となったのである。苦労を共にした大事な、大事な彼の妻は、泥まみれになって、田圃の桑の木にひっかかって、無惨な最期をとげていたのである。二人して顔の泥を落としてやり-、髪を洗ってやり-、着物をぬがしてやっていたら、帯の奥からポトリと財布が落ちて来た。私はなぐさめの言葉もなく彼と一緒に泣いた。(中略)私がびっくりしたことは、自転車屋氏の子供達が避難した神社に、百年ほど前、やはり同じようにこの地を襲った大地震の碑が苔むして建っていたが、その石碑の裏に、今より約九十年後にまた、このような大地震が起こると予言がキザまれていたことであった。その昔、何を根拠にどんな人がこれを予言したのか、神秘な話である。

『森繁自伝:三本のかつおぶし、無惨!津波の果て』(中公文庫)

「来る時はまだしも、引く時の力は、

いかなる頑丈なものも立ち尽す術がないという」

ふたたび  昭和二十一年十二月二十一日午前四時十九分  ・・・・・・・・・  授業が終わり急いで帰る。    今日は芋のおかゆを炊くからと聞かされていた。    土間を駆け抜け    裏の竃から立ち上がる湯気の匂いに    『はよぉ、いれてやぁ』、と声だかに叫ぶと    母は『めんどいから(恥ずかしい)大きな声でいわんとき』。    当時、お昼のご飯におかゆは、米を減らしお腹を満たすためで    近所の手前、恰好がわるいと母は思っていたようだが    幼い私にわかるはずがない。    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    夕どき家族で囲炉裏をかこむ。    母の背に柱時計がある    母は振り子のあたり、壁が剥げている筋目を指さし    そこまで潮につかった津波の話をした。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    郷里・徳島県海部郡海南町浅川    昭和二十一年十二月二十一日午前四時十九分、    母は南海道大地震を体験した。    晩秋の日はつるべ落しのように暮れて行く。    前日、父は伝馬舟に乗り沖へ出た    スルメイカが良く釣れた、ことのほかよく釣れ家に帰る。    とても寒い晩だった。    囲炉裏で火を焚く、そばには万一のためにと、    いつも摺鉢とバケツに水を入れておいた。    その夜は、冬にしては珍しく無風状態で、    あたりは磯の匂いというか、    海藻の匂いが一面に漂っていた。    海辺の町とはいえ海岸からの距離を考えるとなにか不自然で、    また犬の遠吠えと鶏の夜鳴きでとても不気味な夜だった。    湯たんぽを入れた夜具の上に、綿入れの半天を掛けて寝た。    朝方、唐紙がガタガタ梁がギッチギッチ夢うつつ    枕の下からゴーという地鳴りで目が覚める。    下から突き上げてくるような地震に母は雨戸を開けに走った。    父は囲炉裏の火床に摺鉢をかぶせる。    姉と兄は父にしがみつき地震のおさまるのを待った。    わずかな月明かりで見える部屋の畳が    大きく左右に動いているのが分かった。    雨戸を開けに行った母は、道路の小石がパチパチと跳ねあがり、    ちょうどフライパンで豆を妙っているような光景に、    軒下で足がすくんでしまったそうだ。    『津波がくるぞっ』とみなが騒いでいる    山に続く近くの神社の方へ行こうとした時、    浜の方から「潮が狂ったぞー」とけたたましい声。    下を見ていた父が急に    『あの潮見てみい』と言う。    見ると早、西の方から泡のごとく白い潮が飛んで来る。    その早いこと、早いこと。    何どころじゃない。    自分の持ち出しは布団、腋に抱え神社の石段迄来た時    ドッドー、ドッドーと凄じい潮の唸り    ガラガラドッーと潮に呑まれる    必死で石段を上がりつめた。    下を見るゆとりもない。神社の山を登って一息ついた。    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・    先年なくなられた    森繁久彌さんがこの昭和南海大地震に淺川(私の郷里)で遭い、    その顛末を『森繁自伝』に記載している。    森繁自伝     先年なくなられた森繁久彌さんが昭和南海大地震に遭い、その顛末を『森繁自伝』に記載している。彼は戦後の食糧難の時代に、一攫千金を夢見て魚の闇販売ルート確保のために来徳。文中にでてくる「自転車屋君」の叔父が県南の当時の網元で、その網元との話し合いも首尾上々。その夜の宴会では前後不覚になるほどに泥酔し、その翌日未明に地震が発生。    -この喜びを一瞬にしてくつがえすものは、神の力だけである-    午前三時-。暗黒の闇がドシンと大きくゆれたと同時に、寝ている私の頭に異様な物体が落下して来て眼がさめた。はね起きた私は足を払われてステンとのめり、また何かが落ちてきた。地震だ!梁が不気味な音をたててきしみ、いまにもこの家が倒れるようである。真っ暗な中に私は死を待った。連続してゆれてくるこの驚天動地は、私を冷静にとりもどす余裕などない。ようやくゆれがおさまった時に、キナクサイ中から便所の臭気がただよって来た。私は窓を求めて走ったが、下が見えない。後で知ったのだが、そこから飛べば泥坊よけのとがったサクにつきささっていただろう。また廊下の割れたガラス戸から飛んでいたら、下は井戸であった。一度しか昇ったことのないこの建増しの三階から玄関へは、迷路もいいとこで、押し入れにつき当たり、部屋に入り、人影もない旅館の中で、「誰か-誰か-」と絶叫しながら、またまたゆれて来る中を、やっと玄関にたどりついた時は、身体の方々に血を流していた。はだしで表へ逃げ出したら、遠く提灯が動いて、「津波だ、津波が来たぞ!山へ逃げろ!」の声が闇をつんざいて聞こえて来た。「山はどこだ」山も海も分からない。腰が抜けて立ち上がれないのを、誰かがぐいと引っ張りあげてくれた。「山はどっちです」男はむんずと私をだいて山へ走った。これが紀州の大地震であった。(中略)    紀州の大地震のことについては、ことが小説より奇なので、もう少しくわしく書いてみたいのだが、どうにもちょっと心に引っかかって筆が進まない。というのは、その終末が、私にとっては喜劇として終わったのだが、案内役の自転車屋氏にとっては、まことに悲惨な結果と相成ったからである。かいつまんでお話しすると、- 翌朝、二人で自転車を飛ばして、昨日来た道を彼の家へと走ったのだが、何と、途中でびっくりした。山の中腹まで大きな船がのし上がっているし、田圃は一面の泥海と化し、屋根やら材木が折り重なって、一瞬にして起こったこの津波がどんなにひどかったかを如実に見せられた。そして、ようやく彼の村にさしかかると、海岸三メートルほどの石垣の上にあった町は、道の両側の家をきれいに洗い流してあとかたもない。「やあ、家がのうなった!」彼は足をとめて呆然と突立ってしまった。このあたりだろう…と、わずかに土台のコンクリートを探しあてたが、ここが六畳で子供たちがおっ母アとねていた所だ、こっちが土間です、ここには自転車が二十台ほど天井と土間にありましたが…    それにしても、そこが確実に自分の家だというには、これという目ぼしい何もない。わずかに大きなスパナが一挺、土間だと彼がいうくずれたセメントのくぼみに落ちていた。真っ青になった彼は、村の人が避難していると聞いた山へ走った。鳥居をくぐると、大勢の人間がうずくまったり右往左往している。恐怖の一夜があけて、うつろな顔をしている群衆の中を、声もさけよと必死になって彼は子供と妻の名を呼んだ。しかし誰も返事をしない。かけずり廻るうちに、お堂の中からゾロゾロと子供達が出て来た。六人の子供は生きていた。何という幸せだったろう。が、どうしたことか、かんじんの奥さんがいない。「母ちゃんは?」「母ちゃんなア、みんなつれてここまで来たけど、また、お金をとりにもどった-」「そいで帰って来んのか?」「うん」大粒の涙がポロポロといたいけな坊主の頬を流れた。「馬鹿たれが!なんでここにじっとしとらんかったんだ-」わなわなと口をふるわした彼は、飛ぶように走って行った。私も彼の後を求めてそのあとを追い、泥田と化した田圃の中へ入っていった。そして、それから一時間ほど、遂に無惨な対面となったのである。苦労を共にした大事な、大事な彼の妻は、泥まみれになって、田圃の桑の木にひっかかって、無惨な最期をとげていたのである。二人して顔の泥を落としてやり-、髪を洗ってやり-、着物をぬがしてやっていたら、帯の奥からポトリと財布が落ちて来た。私はなぐさめの言葉もなく彼と一緒に泣いた。(中略)私がびっくりしたことは、自転車屋氏の子供達が避難した神社に、百年ほど前、やはり同じようにこの地を襲った大地震の碑が苔むして建っていたが、その石碑の裏に、今より約九十年後にまた、このような大地震が起こると予言がキザまれていたことであった。その昔、何を根拠にどんな人がこれを予言したのか、神秘な話である。    『森繁自伝:三本のかつおぶし、無惨!津波の果て』(中公文庫)    「来る時はまだしも、引く時の力は、    いかなる頑丈なものも立ち尽す術がないという」
 

地震についてはいつ来るかわからない状況ですが、預言者みたいな人たちも来年か再来年には来るという人が多いようですね。また予知研究をしている人の間でも、今年の年末、来年の2月、来年の5月などに来るのではないかという予測があり、本当にいつ来てもおかしくないことだけは確かです。皆さんお気づきのように火山活動などは活発化しており、御嶽山の噴火などは記憶に新しいところ。いつ来ても大丈夫なように最低限の備えはしておくようしましょう。

よくいわれているのが、現在の状況は9世紀、もしくは江戸時代などとも状況が似ているということです。その関係性でいくと東北沖、東南海、関東直下、九州、などに関連性が疑われており、今後東南海や関東直下や九州に来る可能性が考えられます。政府の死亡予測数はインチキの極みであり、部分的な問題をとらえるのみで非常に低くなっています。しかしここはぜひその通りにするというくらいのつもりで、意識を高めてほしいものですね。

wikiを参考にすると地震と火山の関係として、以下のような関係性が言われています。

684年白鳳地震
当日:伊豆大島
5ヶ月後:浅間山?焼岳?

1707年宝永地震
49日後:富士山(宝永大噴火)
1年2ヶ月後:浅間山
1年4ヶ月後:阿蘇山
1年6ヶ月後:岩木山および三宅島

1952年カムチャツカ地震
1日後:カルビンスキー山
8日後:タオ・ルシィル山
31日後:マールイセミャチック山
1年9ヶ月後:サリチェフ山
2年11ヶ月後:ベズイミアニ山

2004年スマトラ沖地震
105日後:タラン山 
1年2ヶ月後:メラピ山 
1年5ヶ月後:バレン山
2年9ヶ月後:ケルート山
2年10ヶ月後:アナク・クラカタウ山

全国的に見ても、阿蘇山、御嶽山、桜島、口永良部島(鹿児島県)の新岳、蔵王山、八甲田山、立山連峰地獄谷、その他で活動が活発化しているといわれています。次は富士山ではないかとまことしやかにささやかれていますが、この流れだとあながち間違いとは言えません。11月22日(よりによってこの日w)に長野でもM6.7(震度6弱)の地震がありましたし、今月の12月21日夜から22日の早朝くらいまでは要注意ですね。茨城県沖で大きな地震が12月中にあるという予測もあるようです。

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モンドセレクションと美少年

2014-12-21 | Weblog

【 モンドセレクションと美少年 】

今年 清酒 美少年で有名だった 火の国酒造が負債総額 約11億5千万円で破産

すでに 美少年ブランドは他社に売却しており製造はしておりませんでしたが・・・

注)
旧社名は「美少年酒造株式会社」
その後 「火の国酒造株式会社」へ名称変更 

現在製造しているのは2013年設立の別会社「株式会社美少年」です。
今回書いているのは(旧)美少年酒造株式会社の清酒「美少年」であり 株式会社美少年の製造する清酒「美少年」ではありません。

この旧美少年酒造株式会社では「三笠フーズ」結託して汚染米を清酒作りに使用し 一等米との差額を 1987年から2007年までの20年間にわたり裏金として受け取っていた事でも有名。
その辺りはWikipediaや過去のニュース等参照下さい。

興味深いのは その渦中1998~2004年にモンドセレクションゴールドメダルやグランドゴールドメダルを7年連続受賞している事・・・

結局 モンドセレクションはあくまで申請した側の都合で どうにでもなってしまうという事が証明されてしまったワケで・・・

元々 モンドセレクションとは 様々な製品の「技術的水準」を審査するベルギーの民間団体。

モンドセレクション受賞!っというと何か凄い事のような印象を受けますが 実は認証制度であって賞ではありません。
(賞と言っているだけ)

「賞」というと沢山の中から優れた商品として選ばれたように感じますが 実は一定の基準を満たしていれば すべての商品にモンドセレクションは与えられます。

美味しいまずいではなくて 製造技術レベルが高水準である事を表しているそうです。(念のため ワインだけがコンクール式)

一応審査は、「味覚」「衛生」「パッケージに記載されている成分などが正しいか」「原材料」などの項目とされているけれど それをどうやってチェックしているかはまったく不明。

例えば和菓子や日本独自の食品の良し悪しをベルギーの審査機関であるモンドセレクションが どうやって判断しているのかも興味深い所ですが これも不明。

その審査は年に1回
審査料は1回に1100ユーロ 日本円で約15万円~

1回受賞すると5年間 表示可能
3年出品すると出品年度を明示した上で永久使用OK

この金額を聞いてお分かりの通り 
どちらかと言うと 中小企業等 無名のメーカーさんが
その技術的水準を担保してもらう為のようなもの。

そういった意味では大手企業が「モンドセレクションを多数受賞!」と派手に宣伝するのは 何だか微妙ですね。

また一年目でモンドセレクションが得られれば
当然二年目も 余程のことが無い限り認定されます。

3年 10年 25年と連続で基準を達成すると
その他の特別賞みたいな物ももらえるそうですが逆に言えばそれだけ連続で毎年出品料を払ってもらえば団体側も儲かりますからありがたいのでしょうね。

現在 出品される商品の約5割が日本の企業だそうで
日本製品はクオリティが高いので約8割は認定されるようです。

実際にモンドセレクションで認定されると ほとんどの企業で売り上げがアップするそうです。

このモンドセレクションが 本当に権威ある審査機関であったなら 前述の汚染米を使って農薬が検出された「美少年」ような日本酒をどうして認定していたのか知りたい所です。

技術は有っても苦しい経営に悩む中小企業にとっては 自社の商品がしっかりした物だという事をアピールしやすい制度かと思いましたがこのような事があると ちょっと怪しい物ではないか?と逆に不安に思ってしまいますね。

______________

a seedプロデューサー
 

清酒「美少年」というと 松本零士氏の漫画でファンになった方もかなり多いのではないでしょうか?
会社は変わりましたが 新生「美少年」には期待したい所です。

【 モンドセレクションと美少年 】    今年 清酒 美少年で有名だった 火の国酒造が負債総額 約11億5千万円で破産    すでに 美少年ブランドは他社に売却しており製造はしておりませんでしたが・・・    注)  旧社名は「美少年酒造株式会社」  その後 「火の国酒造株式会社」へ名称変更     現在製造しているのは2013年設立の別会社「株式会社美少年」です。  今回書いているのは(旧)美少年酒造株式会社の清酒「美少年」であり 株式会社美少年の製造する清酒「美少年」ではありません。    この旧美少年酒造株式会社では「三笠フーズ」結託して汚染米を清酒作りに使用し 一等米との差額を 1987年から2007年までの20年間にわたり裏金として受け取っていた事でも有名。  その辺りはWikipediaや過去のニュース等参照下さい。    興味深いのは その渦中1998~2004年にモンドセレクションゴールドメダルやグランドゴールドメダルを7年連続受賞している事・・・    結局 モンドセレクションはあくまで申請した側の都合で どうにでもなってしまうという事が証明されてしまったワケで・・・    元々 モンドセレクションとは 様々な製品の「技術的水準」を審査するベルギーの民間団体。    モンドセレクション受賞!っというと何か凄い事のような印象を受けますが 実は認証制度であって賞ではありません。  (賞と言っているだけ)    「賞」というと沢山の中から優れた商品として選ばれたように感じますが 実は一定の基準を満たしていれば すべての商品にモンドセレクションは与えられます。    美味しいまずいではなくて 製造技術レベルが高水準である事を表しているそうです。(念のため ワインだけがコンクール式)    一応審査は、「味覚」「衛生」「パッケージに記載されている成分などが正しいか」「原材料」などの項目とされているけれど それをどうやってチェックしているかはまったく不明。    例えば和菓子や日本独自の食品の良し悪しをベルギーの審査機関であるモンドセレクションが どうやって判断しているのかも興味深い所ですが これも不明。    その審査は年に1回  審査料は1回に1100ユーロ 日本円で約15万円~    1回受賞すると5年間 表示可能  3年出品すると出品年度を明示した上で永久使用OK    この金額を聞いてお分かりの通り   どちらかと言うと 中小企業等 無名のメーカーさんが  その技術的水準を担保してもらう為のようなもの。    そういった意味では大手企業が「モンドセレクションを多数受賞!」と派手に宣伝するのは 何だか微妙ですね。    また一年目でモンドセレクションが得られれば  当然二年目も 余程のことが無い限り認定されます。    3年 10年 25年と連続で基準を達成すると  その他の特別賞みたいな物ももらえるそうですが逆に言えばそれだけ連続で毎年出品料を払ってもらえば団体側も儲かりますからありがたいのでしょうね。    現在 出品される商品の約5割が日本の企業だそうで  日本製品はクオリティが高いので約8割は認定されるようです。    実際にモンドセレクションで認定されると ほとんどの企業で売り上げがアップするそうです。    このモンドセレクションが 本当に権威ある審査機関であったなら 前述の汚染米を使って農薬が検出された「美少年」ような日本酒をどうして認定していたのか知りたい所です。    技術は有っても苦しい経営に悩む中小企業にとっては 自社の商品がしっかりした物だという事をアピールしやすい制度かと思いましたがこのような事があると ちょっと怪しい物ではないか?と逆に不安に思ってしまいますね。    ______________    a seedプロデューサー   現代自然派調理研究家 美食家 Jeff    元々臨床検査会社に勤めていた所から  健康的な食事に興味を持ち  現在は静岡県焼津市の会員制レストランで  食事と健康についての研究や  料理プロデュースをやらせて頂いております。  個人のページでは また違う視点で  いろいろと書かせて頂いております。    現代自然派調理研究室 -A seed- Jeff  https://www.facebook.com/jeffrielau  ___________    清酒「美少年」というと 松本零士氏の漫画でファンになった方もかなり多いのではないでしょうか?  会社は変わりましたが 新生「美少年」には期待したい所です。
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ネーミングが  小林製薬みたい

2014-12-21 | Weblog

ネーミングが  小林製薬みたい(苦笑)

ネーミングが  小林製薬みたい(苦笑)
 
 
 

これはおもしろい!

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こういうお墓 イイナ・・・何をするにも成功するために必要な10個のスキル

2014-12-21 | Weblog

 

こういうお墓 イイナ・・・

 

こういうお墓 イイナ・・・


何をするにも成功するために必要な10個のスキル
 
1.スピーチ能力
人前でハキハキと説得力があり力強く話すことによって、売り上げを上げることができる。また自分自身に自信を持つことができ、魅力的になるそうです。
 
2.書くスキル
スピーチするスキルとほとんど同じ利点ですが、書く能力が成熟することによって、自分の考えを一貫性のある形にまとめられるようになり、効果的に考えを伝えられるようになる。
  
3.自己管理能力
効率的な行動を起こすためには、ここぞという時に万全の体制を敷いておく必要があり、生活習慣や自制心といった自己管理は必要になってくる。
 
4.ネットワーキング
ネットワーク上ではさまざまな情報やアイデアがあり、それらがさまざまな事とかかわり合い、新しいアイデアを思いつくことがある。
 
5.分析・評価能力
さまざまな情報の評価・分析を行い、情報の意味や妥当性を見いだし、ほかの情報と関連づけることは非常に重要になってくる。
 
6.意志決定
深く考えすぎたり、新たな情報を待ちすぎると、危険な状況に追いやられる事がある。どれだけ効率的に素早く行動に移せるかが重要になる。
 
7.計算能力
頭の中で素早く計算する能力や正確に計算する能力、基本構造を理解する能力を持つことによって、他者に差をつけることができる。
 
8.リサーチ能力
あらゆる事を知る必要はないが、必要な情報を素早く手軽に理解できるようになる必要がある。
 
9.ストレス緩和
ストレスによって、誤った意志決定や貧困な考えを引き起こす原因となる。ストレスによって自己管理にも影響を及ぼすため、差し迫った状況になっているときこそ、ストレスと上手に付き合っていかなければならない。
  
10.会計の基礎能力
お金の流れを記録し後追いする事は必要。


「あたりまえ」を「ありがとう」と言うのが感謝
 
「だから、なに?」を「おめでとう」と言うのが賞賛
 
「もう、ダメだ」を「これからだ」と言うのが希望
 
「なりたいな」を「なってやる」と言うのが決意
 
「もういいや」を「まだ待とう」と言うのが忍耐
  
言葉だけでも認識は変わる

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