授業が終わり急いで帰る。
今日は芋のおかゆを炊くからと聞かされていた。
土間を駆け抜け
裏の竃から立ち上がる湯気の匂いに
『はよぉ、いれてやぁ』、と声だかに叫ぶと
母は『めんどいから(恥ずかしい)大きな声でいわんとき』。
当時、お昼のご飯におかゆは、米を減らしお腹を満たすためで
近所の手前、恰好がわるいと母は思っていたようだが
幼い私にわかるはずがない。
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夕どき家族で囲炉裏をかこむ。
母の背に柱時計がある
母は振り子のあたり、壁が剥げている筋目を指さし
そこまで潮につかった津波の話をした。
郷里徳島県
昭和二十一年十二月二十一日午前四時十九分、
母は南海道大地震を体験した。
晩秋の日はつるべ落しのように暮れて行く。
前日、父は伝馬舟に乗り沖へ出た
スルメイカが良く釣れた、ことのほかよく釣れ家に帰る。
とても寒い晩だった。
囲炉裏で火を焚く、そばには万一のためにと、いつも摺鉢とバケツに水を入れておいた。
その夜は、冬にしては珍しく無風状態で、
あたりは磯の匂いというか、
海藻の匂いが一面に漂っていた。
海辺の町とはいえ海岸からの距離を考えるとなにか不自然で、
また犬の遠吠えと鶏の夜鳴きでとても不気味な夜だった。
湯たんぽを入れた夜具の上に、綿入れの半天を掛けて寝た。
朝方、唐紙がガタガタ梁がギッチギッチ夢うつつ
枕の下からゴーという地鳴りで目が覚める。
下から突き上げてくるような地震に母は雨戸を開けに走った。
父は囲炉裏の火床に摺鉢をかぶせる。
姉と兄は父にしがみつき地震のおさまるのを待った。
わずかな月明かりで見える部屋の畳が
大きく左右に動いているのが分かった。
雨戸を開けに行った母は、道路の小石がパチパチと跳ねあがり、
ちょうどフライパンで豆を妙っているような光景に、
軒下で足がすくんでしまったそうだ。
『津波がくるぞっ』とみなが騒いでいる
山に続く近くの神社の方へ行こうとした時、
浜の方から「潮が狂ったぞー」とけたたましい声。
下を見ていた父が急に
『あの潮見てみい』と言う。
見ると早、西の方から泡のごとく白い潮が飛んで来る。
その早いこと、早いこと。
何どころじゃない。
自分の持ち出しは布団、腋に抱え神社の石段迄来た時
ドッドー、ドッドーと凄じい潮の唸り
ガラガラドッーと潮に呑まれる
必死で石段を上がりつめた。
下を見るゆとりもない。神社の山を登って一息ついた。
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先年なくなられた
森繁久彌さんがこの昭和南海大地震に淺川(私の郷里)で遭い、
その顛末を『森繁自伝』に記載している。
彼は戦後の食糧難の時代に、
一攫千金を夢見て魚の闇販売ルート確保のために来徳。
前日、夜の宴会で前後不覚になるほどに泥酔し、その翌日未明に地震が発生。
その時の引き波の恐ろしさを書いてある。
「来る時はまだしも、引く時の力は、
いかなる頑丈なものも立ち尽す術がないという」