昨日行われたローマ法王の祈り(ミサから訂正)は、日本のオンライン新聞でも紹介されたが、見ていてかなり恐ろしいものだった。
恐ろしいというのは、長いキリスト教の歴史の中でも、おそらく初めて見る光景なのではないかと思うからである。
あいにく、昨日のローマは、午後になって、嫌な感じの雨になった。
せめて、この雨が降っていなかったら少しは違ったのに。
サン・ピエトロ広場は、閉鎖されてだいぶ経つ。2週間くらいか。
そして、他の観光地などとも一緒だが、いつ再び開くかわからない。

教会前に、広場で謁見などが行われる際に使われる舞台が、そのまま置かれている。
普通なら、広場に多くの人がいて、舞台に立つ法王様の言葉に耳を傾けるのだが、誰もいない。
静まり返っている。

普通は、舞台がそれなりに飾られ、教会前の一段高い、法王様に近い位置には、多くの来賓が座っているのだが、誰もいない。
いつもなら、もっと大きく見える舞台が小さく見えてしまう。

誰もいない広場に向かって、もちろん、テレビで放送されているし、遠く、広場の柵のところにわずかの人がいるのだが、言葉を述べる法王様。
法王様自身、こんな自体になるとは思っていなかったと思う。

誰もいない広場に向かって、いや、おそらく遠く、広場の柵の外で見ている人たちに向かって聖体顕示台を掲げる法王様。
痛たましい感じもする。

そして、この疲れた顔。
いつもニコニコ、冗談を交えて話しをすることの多い法王様の、こんな疲れた顔を見たのは初めてである。
しとしと降る、止まない雨。
誰もいない静まり返った広場。
わずかの人数で執り行うミサ。
見ていて、恐ろしさを感じたのは、私だけではないと思う。
しかし、これから、復活祭に向け、バチカンの行事が増える中、このミサが最初で最期ではない。
復活祭のミサも同じようになるかもしれない。
少なくとも雨でないことを祈る。
陰性だったとはいえ、同じ宿舎で過ごしている枢機卿の一人が感染しているような状況で、法王様も、心休まる時が少ないのだろうと想像する。
どうか、1日も早く、法王様のにこやかな顔を再び見たいと願う。
恐ろしいというのは、長いキリスト教の歴史の中でも、おそらく初めて見る光景なのではないかと思うからである。
あいにく、昨日のローマは、午後になって、嫌な感じの雨になった。
せめて、この雨が降っていなかったら少しは違ったのに。
サン・ピエトロ広場は、閉鎖されてだいぶ経つ。2週間くらいか。
そして、他の観光地などとも一緒だが、いつ再び開くかわからない。

教会前に、広場で謁見などが行われる際に使われる舞台が、そのまま置かれている。
普通なら、広場に多くの人がいて、舞台に立つ法王様の言葉に耳を傾けるのだが、誰もいない。
静まり返っている。

普通は、舞台がそれなりに飾られ、教会前の一段高い、法王様に近い位置には、多くの来賓が座っているのだが、誰もいない。
いつもなら、もっと大きく見える舞台が小さく見えてしまう。

誰もいない広場に向かって、もちろん、テレビで放送されているし、遠く、広場の柵のところにわずかの人がいるのだが、言葉を述べる法王様。
法王様自身、こんな自体になるとは思っていなかったと思う。

誰もいない広場に向かって、いや、おそらく遠く、広場の柵の外で見ている人たちに向かって聖体顕示台を掲げる法王様。
痛たましい感じもする。

そして、この疲れた顔。
いつもニコニコ、冗談を交えて話しをすることの多い法王様の、こんな疲れた顔を見たのは初めてである。
しとしと降る、止まない雨。
誰もいない静まり返った広場。
わずかの人数で執り行うミサ。
見ていて、恐ろしさを感じたのは、私だけではないと思う。
しかし、これから、復活祭に向け、バチカンの行事が増える中、このミサが最初で最期ではない。
復活祭のミサも同じようになるかもしれない。
少なくとも雨でないことを祈る。
陰性だったとはいえ、同じ宿舎で過ごしている枢機卿の一人が感染しているような状況で、法王様も、心休まる時が少ないのだろうと想像する。
どうか、1日も早く、法王様のにこやかな顔を再び見たいと願う。