聖女チェチリアの素顔
聖女チェチリアは音楽の守護聖女。そこで、ローマで最も有名な音楽院の名前はサンタ・チェチリア音楽院という。
異説はあるが、230年、ローマで殉教した聖女。
貴族の娘でキリスト教徒であったチェチリアは、同じく貴族(異教徒)のヴァレリアーノの元に嫁いだが、神に対して処女であることを誓った、ということを夫に理解してもらった。
夫は、チェチリアの勧めで改宗し、洗礼を受け、家に帰ってくると、部屋の中は音楽で満たされ、花の香り芳しく、そこへ天使が現れたそうな。
また、チェチリアは、賛美歌を、伴奏をつけて歌っていたらしい、ということで、オルガンを発明したとも言われ、持ち物はオルガンになっている。
捕らえられ、蒸気で蒸し殺しにされるはずだったのだが、死ななず、今度は首を3度切りつける、という刑に。すぐには死なず、3日生き延びて息を絶えたそう。
墓は、アッピア街道沿いにあるサン・カリストのカタコンベに作られた。
その墓を発見したのはパスクアーレ1世法王。
チェチリアがに夫ともに住んでいた家が教会になっていたのだが、改築をしている。
さて、中に入ると、教会の主祭壇の手前に、とても魅力的な聖女チェチリアの彫刻が置いてある。
制作者はステファノ・マデルノ(1576-1636)
制作年は1600年。
1599年に、チェチリアの墓を開けたらしい。
その時、マデルノは、見た姿そのままを彫った、と言われるのだが、奇跡のごとく、純白の衣装はそのまま、神を讃える仕草をし、首には切りつけられた跡。
その彫刻の顔が、向こうを向いて、まるで棺のような容器に納められている。
顔が後ろを向いているので、見えないので、チェチリアの顔を見たことはなかった。
音楽の聖女、チェチリア。
処女聖女。
鼻が細く高く、さぞかし、惚れ惚れするような美女ではないか。。。。と思っていたのが。。。。
用事があって、久々にサンタ・チェチリア教会に行き、パンフレットをついでに買って帰り、ふと見ると、彫刻を後ろから撮った写真が載っていた。
ぷぷぷ。
笑ってしまった。(ごめんなさい)
パンフレットの言葉を借りて「クラシックにアルカイック」とあるように、ちょっと鼻が低くて、潰れているわけではないが潰れたようにも見える何てことのない顔をしていた。
すごーい美女かと思ったのに。。。。
聖女チェチリアもなんだか普通の女性だった(奇跡は起こしたが)と、ちょっと身近に感じることになった。
聖女チェチリアは音楽の守護聖女。そこで、ローマで最も有名な音楽院の名前はサンタ・チェチリア音楽院という。
異説はあるが、230年、ローマで殉教した聖女。
貴族の娘でキリスト教徒であったチェチリアは、同じく貴族(異教徒)のヴァレリアーノの元に嫁いだが、神に対して処女であることを誓った、ということを夫に理解してもらった。
夫は、チェチリアの勧めで改宗し、洗礼を受け、家に帰ってくると、部屋の中は音楽で満たされ、花の香り芳しく、そこへ天使が現れたそうな。
また、チェチリアは、賛美歌を、伴奏をつけて歌っていたらしい、ということで、オルガンを発明したとも言われ、持ち物はオルガンになっている。
捕らえられ、蒸気で蒸し殺しにされるはずだったのだが、死ななず、今度は首を3度切りつける、という刑に。すぐには死なず、3日生き延びて息を絶えたそう。
墓は、アッピア街道沿いにあるサン・カリストのカタコンベに作られた。
その墓を発見したのはパスクアーレ1世法王。
チェチリアがに夫ともに住んでいた家が教会になっていたのだが、改築をしている。
さて、中に入ると、教会の主祭壇の手前に、とても魅力的な聖女チェチリアの彫刻が置いてある。
制作者はステファノ・マデルノ(1576-1636)
制作年は1600年。
1599年に、チェチリアの墓を開けたらしい。
その時、マデルノは、見た姿そのままを彫った、と言われるのだが、奇跡のごとく、純白の衣装はそのまま、神を讃える仕草をし、首には切りつけられた跡。
その彫刻の顔が、向こうを向いて、まるで棺のような容器に納められている。
顔が後ろを向いているので、見えないので、チェチリアの顔を見たことはなかった。
音楽の聖女、チェチリア。
処女聖女。
鼻が細く高く、さぞかし、惚れ惚れするような美女ではないか。。。。と思っていたのが。。。。
用事があって、久々にサンタ・チェチリア教会に行き、パンフレットをついでに買って帰り、ふと見ると、彫刻を後ろから撮った写真が載っていた。
ぷぷぷ。
笑ってしまった。(ごめんなさい)
パンフレットの言葉を借りて「クラシックにアルカイック」とあるように、ちょっと鼻が低くて、潰れているわけではないが潰れたようにも見える何てことのない顔をしていた。
すごーい美女かと思ったのに。。。。
聖女チェチリアもなんだか普通の女性だった(奇跡は起こしたが)と、ちょっと身近に感じることになった。