Sulla mia pelle ステファノ・クッキの最後の7日間
監督 Alessio Cremonini アレッシオ・クレモニーニ
若干複雑な心境である。
暴力はいけない。
特にそれが、武力を保持している警察によるものであったらなおさらである。
しかし、暴力を煽る、ということもないわけではないような気もする。
もちろん、暴力はいけない、ということには変わらないが。
今年のゴールデン・グローブ上映会は、イラリア・クッキ女史の記者会見から始まった。
綺麗な真っ赤なワインピースで現れたのには、若干びっくり。
正直、もう少し地味な服装でくると、勝手にではあるが、思っていたからである。
イラリア・クッキは、弟が警察による暴力で亡くなり、暴力行為を警察側がもみ消し、否定し続けたため(最近になってやっと告白した)、真実を暴くこと、そして、警察による暴力をなくすことに力を注いでいる今でも話題の人。
あれはいつからだろうか。
弟の死の顔写真をポスター大にして、このような暴力を受けて弟が亡くなった、と、世間に警察による暴力を知らしめた。
最初に見た時には、かなりギョッとした。
目の周りが紫に晴れ、どう見ても暴力を受けて亡くなったとしか思えない、結構衝撃的な写真だったからである。
あれから何年たったのか。
弟の死からは9年だそうだ。
映画は、彼女の弟、ステファノ(31歳)の最後の7日間を描いたもの。
ステファノは、ドラッグをやっていて、派手な密売はやっていなかったのかもしれないが、捕まった当時、ハシシを20g他、所有していた。
コカインではなくハシシ、それも20gは少なくない量である。
警察には偶然捕まったようだが、ドラッグを所有していたため警察に連行され、取り締まりの際に数人の警察に暴力を受けた。
それから6日目、警察病院に入院してからは4日目、に亡くなった。
背骨は2箇所の骨折、打撲多数、膀胱に障害を受け、栄養失調も含め、警察病院に入院して4日目の明け方に、ひっそりと息を引き取ったらしい。
台本は、10000ページにも及ぶ裁判の記録(7年に及び、45回以上、証言者は120人になるそう)を読んで作った、というので、クッキファミリー以外、インタヴューをしたわけではないとのこと。
裁判の記録に基づいているということなので、ほぼ正確なのだろとは思うが、意外なことにステファノは治療をかなり拒否している。
暴力も、階段から落ちた、と訴えている。
これは、暴力を加えた警察にそう言うように言われたのかもしれないと思う。
が、そんなわけないだろう、と言われても、階段から落ちただけだよ、と返している。
そして、自分の弁護士を呼んでくれ、との一点張り。
食事は、食べられなかったこともあるのだろうが、特に最初は、自ら拒否している姿勢も見られる。
頑なな姿勢を絶対に崩さず、とても丁寧で礼儀正しく見えるのだが、こういう姿勢が暴力を生んだのかもしれない、とも思えるふしもあるし、治療の必要があるのが明らかとはいえ、ここまで拒否されると、医師でも、強引に持っていくことを諦めてしまうのかもしれない。
しかし、ドラッグをやっていなかったらこの死はなかっただろうし、それも、もう少し軽めのドラッグなら、そして、頑なに拒否せず治療を受け入れていれば、または少しでも食べていれば、と、もし・・・ばかりになってはしまうのだが、このような死を迎えることは避けられたような気がするのだが。
話題の事件なだけに、映画の世間の反響は大きく、すでに160都市での上映が決まっているそうで、日本でも上映されるかもしれない。
タイトルは「私の肌に」というような意味で、何も知らないと、まるでロマンチッック映画並みのタイトルなのだが、それよりは、はっきりと「ステファノ・クッキ、ある青年の最後の7日間」とでもした方がしっくりいくような気がする。
暴力はいけない。
この事件では、警察による証拠のもみ消しがあったのもいけない。
しかし、それよりも前に、少年、青年たちがドラッグに傾いて行かない世の中を作って欲しいと願う。
私個人は、その方が重要な気がしたのである。
監督 Alessio Cremonini アレッシオ・クレモニーニ
若干複雑な心境である。
暴力はいけない。
特にそれが、武力を保持している警察によるものであったらなおさらである。
しかし、暴力を煽る、ということもないわけではないような気もする。
もちろん、暴力はいけない、ということには変わらないが。
今年のゴールデン・グローブ上映会は、イラリア・クッキ女史の記者会見から始まった。
綺麗な真っ赤なワインピースで現れたのには、若干びっくり。
正直、もう少し地味な服装でくると、勝手にではあるが、思っていたからである。
イラリア・クッキは、弟が警察による暴力で亡くなり、暴力行為を警察側がもみ消し、否定し続けたため(最近になってやっと告白した)、真実を暴くこと、そして、警察による暴力をなくすことに力を注いでいる今でも話題の人。
あれはいつからだろうか。
弟の死の顔写真をポスター大にして、このような暴力を受けて弟が亡くなった、と、世間に警察による暴力を知らしめた。
最初に見た時には、かなりギョッとした。
目の周りが紫に晴れ、どう見ても暴力を受けて亡くなったとしか思えない、結構衝撃的な写真だったからである。
あれから何年たったのか。
弟の死からは9年だそうだ。
映画は、彼女の弟、ステファノ(31歳)の最後の7日間を描いたもの。
ステファノは、ドラッグをやっていて、派手な密売はやっていなかったのかもしれないが、捕まった当時、ハシシを20g他、所有していた。
コカインではなくハシシ、それも20gは少なくない量である。
警察には偶然捕まったようだが、ドラッグを所有していたため警察に連行され、取り締まりの際に数人の警察に暴力を受けた。
それから6日目、警察病院に入院してからは4日目、に亡くなった。
背骨は2箇所の骨折、打撲多数、膀胱に障害を受け、栄養失調も含め、警察病院に入院して4日目の明け方に、ひっそりと息を引き取ったらしい。
台本は、10000ページにも及ぶ裁判の記録(7年に及び、45回以上、証言者は120人になるそう)を読んで作った、というので、クッキファミリー以外、インタヴューをしたわけではないとのこと。
裁判の記録に基づいているということなので、ほぼ正確なのだろとは思うが、意外なことにステファノは治療をかなり拒否している。
暴力も、階段から落ちた、と訴えている。
これは、暴力を加えた警察にそう言うように言われたのかもしれないと思う。
が、そんなわけないだろう、と言われても、階段から落ちただけだよ、と返している。
そして、自分の弁護士を呼んでくれ、との一点張り。
食事は、食べられなかったこともあるのだろうが、特に最初は、自ら拒否している姿勢も見られる。
頑なな姿勢を絶対に崩さず、とても丁寧で礼儀正しく見えるのだが、こういう姿勢が暴力を生んだのかもしれない、とも思えるふしもあるし、治療の必要があるのが明らかとはいえ、ここまで拒否されると、医師でも、強引に持っていくことを諦めてしまうのかもしれない。
しかし、ドラッグをやっていなかったらこの死はなかっただろうし、それも、もう少し軽めのドラッグなら、そして、頑なに拒否せず治療を受け入れていれば、または少しでも食べていれば、と、もし・・・ばかりになってはしまうのだが、このような死を迎えることは避けられたような気がするのだが。
話題の事件なだけに、映画の世間の反響は大きく、すでに160都市での上映が決まっているそうで、日本でも上映されるかもしれない。
タイトルは「私の肌に」というような意味で、何も知らないと、まるでロマンチッック映画並みのタイトルなのだが、それよりは、はっきりと「ステファノ・クッキ、ある青年の最後の7日間」とでもした方がしっくりいくような気がする。
暴力はいけない。
この事件では、警察による証拠のもみ消しがあったのもいけない。
しかし、それよりも前に、少年、青年たちがドラッグに傾いて行かない世の中を作って欲しいと願う。
私個人は、その方が重要な気がしたのである。