Capri-Revolution カプリ–変革
監督 Mario Martone マリオ・マルトーネ
どんなに良くできていても2度見たくない(見なくても良い)映画と、大したことはなくてももう一度見たい映画があるが、これは前者。
非常に良くできている。
評価も高い。
しかし、120分を超える長さもであるが、内容の重さに、テレビでやっていても見ないだろうなー、と思った。
いや、重いというと、もっと重い映画は他にもたくさんあるのだが。。。なんとなく、2度は見なくてもいい。。。と、見ていて思った。
ただし、一度は見た方が良いと思う。
さすがマルトーネ監督。
日本でも、イタリア映画フェスティバルなどで、公開されるのではないかと思う。
さて、物語は、史実が元になっている。
カプリで余生をすごしたドイツ人(オランダ人?)のアーティスト、カール・デフェンバッハ。
ヌーディズムのパイオニア、ベジタリアンで、一つのコミュニティーを作っている。
1914年という、第一次世界大戦の直前の時期、カプリ島という自然に囲まれた、しかし、閉鎖された空間、ナポリにも近く、古くから根付いている伝統と、相対する変革を、一人の女性を通して描いた。
史実が元になっているとはいえ、あくまでもファンタジー。
例えば、デフェンバッハは1913年に亡くなっている(カプリ島で)のだが、映画の設定は、第一次世界大戦の夜明けにあたる1914年。
主人公ルチアのような女性はいたかもしれないが、あくまでも想像上の人物。
カプリ島の僻地で、ヤギを飼って暮らしているルチアの貧しいファミリーには、古い伝統が根付いている。
父が病気で、余生少ないところ、島に、まだ若い医者がやってきた。
医者は、ルチアが聡明であることに気がつく。
ルチアがヤギを追っている近くには、アーティストのヒューベルドがコミュニティーを作って暮らしている。
戦後でいうとヒッピー的な、一見宗教がかった雰囲気ももつ集団で、裸でダンスを踊り、芸術活動を名目に、伝統を破り、現実逃避的な自由な暮らしをしている。
自分の中に秘めるものに何か響くところがある。
伝統(家)から逃げ出し、自由(コミュニティー)を得て、読み書きもできなかったルチアが英語まで習得し(コミュニティー内の会話は英語)、最後はアメリカへ向けて旅発つ。
異質なものへの反発と惹かれ合う様子、ルチアの心の変化も含め、とてもデリケートに描かれている。
こういったコミュニティーという集団が良いことばかりではない、その否定的部分の描き方も流石だし、最後、ルチアが行くところはアメリカなんだろうな〜と感じさせるだけのところなどもうまい。
(のちのインタヴューで質問が出て、監督自身が、そうです、との返事)
ところで、今時、カプリ島なんて、観光客がいっぱいのところ、よくこれだけ20世紀の初めの雰囲気を出して撮影ができたというのに感心していたのだが、やはり、撮影の3分の1がカプリ島で、残りは近くにあるチレント半島で撮影されたということ。
チレントならまだまだ自然がたくさん残っている。
なるほど。やっぱりね〜
やっぱり、テレビでやってたら、もう一回見るかな〜
前言撤回。
監督 Mario Martone マリオ・マルトーネ
どんなに良くできていても2度見たくない(見なくても良い)映画と、大したことはなくてももう一度見たい映画があるが、これは前者。
非常に良くできている。
評価も高い。
しかし、120分を超える長さもであるが、内容の重さに、テレビでやっていても見ないだろうなー、と思った。
いや、重いというと、もっと重い映画は他にもたくさんあるのだが。。。なんとなく、2度は見なくてもいい。。。と、見ていて思った。
ただし、一度は見た方が良いと思う。
さすがマルトーネ監督。
日本でも、イタリア映画フェスティバルなどで、公開されるのではないかと思う。
さて、物語は、史実が元になっている。
カプリで余生をすごしたドイツ人(オランダ人?)のアーティスト、カール・デフェンバッハ。
ヌーディズムのパイオニア、ベジタリアンで、一つのコミュニティーを作っている。
1914年という、第一次世界大戦の直前の時期、カプリ島という自然に囲まれた、しかし、閉鎖された空間、ナポリにも近く、古くから根付いている伝統と、相対する変革を、一人の女性を通して描いた。
史実が元になっているとはいえ、あくまでもファンタジー。
例えば、デフェンバッハは1913年に亡くなっている(カプリ島で)のだが、映画の設定は、第一次世界大戦の夜明けにあたる1914年。
主人公ルチアのような女性はいたかもしれないが、あくまでも想像上の人物。
カプリ島の僻地で、ヤギを飼って暮らしているルチアの貧しいファミリーには、古い伝統が根付いている。
父が病気で、余生少ないところ、島に、まだ若い医者がやってきた。
医者は、ルチアが聡明であることに気がつく。
ルチアがヤギを追っている近くには、アーティストのヒューベルドがコミュニティーを作って暮らしている。
戦後でいうとヒッピー的な、一見宗教がかった雰囲気ももつ集団で、裸でダンスを踊り、芸術活動を名目に、伝統を破り、現実逃避的な自由な暮らしをしている。
自分の中に秘めるものに何か響くところがある。
伝統(家)から逃げ出し、自由(コミュニティー)を得て、読み書きもできなかったルチアが英語まで習得し(コミュニティー内の会話は英語)、最後はアメリカへ向けて旅発つ。
異質なものへの反発と惹かれ合う様子、ルチアの心の変化も含め、とてもデリケートに描かれている。
こういったコミュニティーという集団が良いことばかりではない、その否定的部分の描き方も流石だし、最後、ルチアが行くところはアメリカなんだろうな〜と感じさせるだけのところなどもうまい。
(のちのインタヴューで質問が出て、監督自身が、そうです、との返事)
ところで、今時、カプリ島なんて、観光客がいっぱいのところ、よくこれだけ20世紀の初めの雰囲気を出して撮影ができたというのに感心していたのだが、やはり、撮影の3分の1がカプリ島で、残りは近くにあるチレント半島で撮影されたということ。
チレントならまだまだ自然がたくさん残っている。
なるほど。やっぱりね〜
やっぱり、テレビでやってたら、もう一回見るかな〜
前言撤回。