在イタリア、ソムリエワインノートとイタリア映画評論、他つれづれ appunti di degustazione

ソムリエ 20年、イタリアワインのテイスティングノートと、なぜか突然のイタリア映画評論、日本酒、日本茶、突然アートも

Arianna di Carlo Lavagna イタリア映画 アリアンナ

2015-11-19 17:45:05 | 何故か突然イタリア映画
Arianna アリアンナ
監督 カルロ・ラヴァーニャ



先週の映画はちょっと期待したがやや期待はずれ、今週の映画はあまり期待していなかったのだが、逆に良かった。
派手さが全くないので大ヒットには絶対にならないだろう。しかし、心に残る、正確には、忘れてしまっても(いや、忘れてしまうだろう)ふっと何かのきっかけに、ああ、そういえばあの映画を見た、と思い出す映画の1本だと思った。

19歳の少女アリアンナにはまだ生理が来ていない。ホルモン治療を何年もしているのだがその成果はあまりなく、相変わらず痩せぎすで、胸もあまり発達していない。
夏、両親と一緒にボルセナ湖畔(ローマの北に位置)の家でバカンスを過ごすことになった。3歳までアリアンナが暮らした田舎家で、その後は一度も行ったことのないところである。両親が町へ戻らなければいけなくなった時、いとこ(女の子)も幼馴染(男の子)もいるし、と言って一人で残る決心をする。

わずか記憶があるかないかの田舎家で一人過ごしているうちに、徐々に自分自身を発見していく。この年代の少女らしく、いとことは性についても語り、幼馴染と体験もする。しかし、未発達のアリアンナの体は苦痛を感じ、また、女性の快感を感じることもない。

父親が医者なので、かかっている産婦人科医は父の友人である。
ふとしたことから、別な医者にかかってみることにした。生理がない、3歳の時にヘルニアの手術を受けた、ホルモン治療をしているけれどあまり成果が見られない、など相談し、近くの町の病院で精密検査を受けることになった。そこには手術のカルテが残っているはずとのアドバイスを受け、昔のカルテを取り寄せて見る。
そこで発見したのは、自分は両性具有者として生まれ、3歳の時、女性になる手術を受けたということだった。

最初は、未発達の身体を持った女性が、両親とのいたって普通の確執も含めて自分を発見していく、というだけのストーリーかと思った。
ところが全然違った。
最後、手術の決定に悩んだであろう両親の話し合いに自分も参加したかったと心でつぶやくところ、そして、参加した女性のワークショップで、自分は子供も産めないし、女性の快感も感じないだろうが「喜び」に似たようなものは感じたことがある、と語るところが印象的だった。

監督は、CMや美術系、ブルガリやグッチなどの短編などを製作したという若い新進監督、初めての長編とのこと。
主役のアリアンナも全く無名の、というより、業界で働いているある人の娘さんだそうだ。すごい抜擢である。
この主役はかなりすごい。淡々としていて、大きく表情を変える場面はないものの、最初から最後まで、多くの部分で裸、裸、裸。性未発達で本人が恥ずかしがっていない役なので、いたってさらっとした裸ではあるが。

ただ、途中、若干退屈する場面もあった。どんでん返しが起こるようには思えない雰囲気の作りだったからだ。
確かに映画の最初にちょっとしたキーワードはあったが、若干平坦な画面がそれを忘れさせてしまう。
終わって、上映会にお誘いいただいている映画関係ベテランのD氏と会話する。こういう会話は実に面白い。D氏曰く、フラッシュバックが織り込まれているともっと良かった、最後に何か起こるかもと思わせるような感じで、幼い時のうっすら残っている記憶と自分自身の発見とを関連付ける感じで。なるほど。さすが。そう、何か物足りない感じがしたのは、そのあたりだったと思う。
監督初めての長編ということで、次に期待。

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