興福寺 南大門の儀
『舞台あらため・外僉義』宝生流『清経』大藏流『太刀奪』金剛流『鵜飼』『附祝言』
2014年5月16日
今年も興福寺の南大門の儀(薪能)を楽しませて頂きました。
風が少し強い日でした。
薪の炎は揺らぎ、能装衣の袖は揺らぎ、寺の鐘が鳴る中、闇に浮かび上がるような能楽を拝見でき、心はときめきました。
今年は『鵜飼』を見る機会に恵まれています。
赤頭のあとしての随所随所に心がときめき、薪の炎の様な御心地が致しました。
ところで、古来 薪能といえば、興福寺南大門前の芝生で演じられてきたものを指し、各地の薪能は戦後これに倣ったものだそうです。
先日楽しませて頂きました あべのハルカス美術館 開館記念特別展「東大寺」の第一期で「南都名所絵図」「和州奈良絵図」「南都寺社名所記」を会場で読んでおりますと、部分的に興福寺の薪能について触れられた部分が含まれてたものが展示されていました。
全て、二月七日とありました事が気にかかっておりましが、いずれ調べる機会があれば良いなと考えております。
開館記念特別展『 東大寺 』 「東大寺大仏縁起絵巻」(副本)「執金剛神縁起絵巻」「二月堂縁起絵巻」
「南都名所絵図」 二月七日薪能
「和州奈良絵図」 二月七日興福寺能 薪
「南都寺社名所記」南円堂仁王あり 毎二月七日ゟ同十四日まで能あり 四座のさるがく 相つとむる
平 重平
南円堂くハおん(観音)四尺
869年、興福寺修二会で薪猿楽が舞われたと伝えられており、能楽が大成される室町時代に、最も盛 況を極めたといわれています。
17日;春日大社舞殿で「咒師(しゅし)走りの儀」
18日:春日大社若宮社で「御社上り(みやしろあがり)の儀」
上が、各午前11時から奉納された後、午後5時半から興福寺南大門跡 般若の芝で「南大門の儀」が執り行われます。
南大門の儀 午後5時半始
場所 奈良市登大路町48興福寺南大門跡般若の芝
(雨天時は奈良県文化会館)
演目 舞台あらため・外僉義(げのせんぎ)
当初 薪御能では、舞台が野外の芝生であったため、「和紙三枚を踏んで湿り気があれ
ば公演を中止する」という取り決めがありました。現在では敷き舞台の上で行うためその
必要はありませんが、芝の湿り具合いで能の有無を定めていた事を今に伝えるため演能
の前に興福寺衆徒(僧兵)により「舞台あらため」が行われ、人々にその結果を伝える外僉
議文が読み上げられます。これらの儀式は他では見ることのできない薪御能だけの特色
です。
演目 宝生流 「清経(きよつね)」 辰巳満次郎
源平合戦のさなか、世をはかなみ入水自殺した平家の公家平清経。形見を手向返す。
妻の夢中にあらわれ、平家の負け戦のありさま、笛を吹き今様を謡い船から水中に飛
び込み死んだ我が身のありさまをを語る。
火入れ 興福寺衆徒
大藏流狂言 「太刀奪(たちばい)」 茂山千三郎
七月七日は京都北野神社の祭り。お手水の会に、主は太郎冠者を連れて参詣のため
に出掛ける。そこへやはり参詣に来た男の腰に、みごとな太刀があるのを見て欲しく
なり、太郎冠者は忠義心から主人の腰の物を借りて、取りに行くことになるのだが、逆
に主人の重代の刀を奪われてしまう。二人して男の下向を待ち受けて、まんまとその男
を捕まえるが、「縄をかけい」と主人に言われて縄をなう太郎冠者。「盗人捕らえて縄綯
う」のことわざを地でいったもの。さて縄をかけ捕らえた者は?
金剛流能 「鵜飼(うかい)」 金剛流宗家金剛永謹
附祝言
『舞台あらため・外僉義』『清経』『太刀奪』『鵜飼』『附祝言』はすっかり日も暮れておりました。
わたくしたちは今見てきた能楽の話を楽しみながらいつものようにワインとオードブルを頂いた後、家路につきました。
みなさま
お付き合いいただき、ありがとうございます。