乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

萬金丹本店と、伊勢おかげ横丁の薬屋さん   (6景)

2012-09-28 | お出かけ
 (タクシー内よりガラス越しに写す)



   萬金丹本店と、伊勢おかげ横丁の薬屋さん


 家族の会話に出てきた丁字(クローブ)続きで…

 料理屋にタクシーを頼み、曽祢町から伊勢神宮(内宮)に行く。

 途中、運転手が萬金丹本店の前で止まり説明して下さる。屋根の形に特徴があるのだそうだ。

 うる覚えだが,伊勢神宮に遠慮した屋根の造りとなっていると教えていただいた…
 詳しくは知らない…


 屋根など

 伊勢の家は神宮の正殿が平入り作りのため同じ構造では畏れ多いと妻入りの家が多いと言う。小西邸の破風は伊勢でよく見られる、下側に反りのある「むくり」破風になっている。それ以外には破風が真っ直ぐな「直く」破風と、上に向かって反っている「反り」破風があります。

 この家は伊勢らしい造りで、おかげ横丁などには多いらしい。
 


 車内から萬金丹本店を写す。

 わたくしは右シートに座っていたので、写真が写しにくい。ご勘弁下さいませ。


 


 萬金丹とは (萬金丹公式HPより ▼)

 和漢植物6種〔阿仙薬、桂皮、丁子、木香、千振、甘草〕を配合した、小粒の丸剤です。
 おなかの調子でお困りの方におすすめします。



 萬金丹の歴史 (萬金丹公式HPより ▼)

 600年の歴史をもつ伊勢の伝統薬
 万病に効く、お伊勢さんの霊薬 『萬金丹』
「越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹」という俗謡でも親しまれてきた萬金丹は、伊勢白粉(いせおしろい)とともに伊勢路の土産物として全国に広まりました。
 お伊勢参りは江戸時代に庶民の間に広がり、村や町ごとに積立金で年一回代参を送り出す〝伊勢講〟といった風習が定着し、代参人は、荷物にならず、しかも実益ある薬ということで、 お参りの土産物として萬金丹を選び、送り出した人々からありがたいと喜ばれました。
また、武士が腰に下げていた印籠の中にも萬金丹が入っており、懐中薬の代表でもありました。その人気から、伊勢の萬金丹には多くの偽物が出現し、ひと頃30種類もの萬金丹が出回っているほどでした。

 そのなかでも古い歴史をもつ、「野間萬金丹」は、かつて〝霊方萬金丹〟として知られ、野間家の言い伝えによると、祖・野間宗祐が室町時代の応永年間(1394~1427)に故郷・尾張国野間から仏地禅師に随行して朝熊岳の金剛證寺に移住し、その信仰の中で秘方を授けられ、創薬したのが萬金丹であったといわれています。金剛證寺は伊勢神宮の鬼門を護る寺とされ、「お伊勢に参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭にも歌われたことでも知られており、金剛證寺で祈祷を終えた後、参詣の人々が多く買い求めたといわれています。

 萬金丹は、江戸時代、旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっており、又、配合されている生薬には、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。
 萬金丹に最も多く配合されている 阿仙薬(あせんやく)は、インド由来の生薬で日本でも古くから薬に使われている薬草ですが、この阿仙薬には、最近話題になっていてるカテキンが緑茶の3~4倍も多く含まれており、その強い抗酸化作用による〝ガン〟〝高脂血症〟〝心臓病〟〝高血圧〟をいった生活習慣病予防効果が期待されています。
 昔ながらの伝統薬が、新しいカタチで注目を集める日も近いかもしれません。


   

 会話をはずませているとあっという間に伊勢神宮内宮☆

 伊勢神宮内宮似辿り着くまでのおかげ横丁を通る。

 ここでも 薬屋さんに『萬金丹』


 

 

 

 
 そして

 うひゃひゃ~
 伊勢にも陀羅尼助(だらにすけ)の旗があったとさ…





コメント (4)
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丁字茄子    ( 丁子茄子 『鬼苑漫筆』 第一章 内田百間 )

2012-09-28 | ことのは


 丁字茄子 (チョウジナス)


 
 からし味噌和えの上に 角がはえ、細かな毛の生えた奇妙な赤い実がのっている。

「お母さん、これ何?」

「何でしょう?花胡椒とはお味が違うし…」

 夫曰く
「丁字だろう」

??スパイスの?」
と首を傾げるふたり。

「すみませぇ~。これはなんと言うのですか?」
と、わたし。

「丁字茄子と申します。」

 三人は妙に納得し、「丁字茄子」を連呼する。


 宿につくや否や、息子がネット検索する。

「お母さん、世の中にはよく似たことがあるものだね。」
と、やたらユニークでうまい文章の小粋なページを開けて、夫とわたしに見せてくれる。

 そのページ  丁子茄子 (鬼苑漫筆 第一章)より ▼







[引用文]
「丁子茄子 七」(鬼苑漫筆 第一章)
 初めの内お膳を突つついてゐる時、前菜風に盛った細長いお皿の中に、猫の好きなまたたびの蔕(ヘタ)の様な物があつたのを、何の氣なしに箸に挾み、變な物だなと思ひながら口に入れたら非常にうまい。何だかわからずに食べてしまつた。
 今僕が戴いた物は何です、と尋ねた。
 吉田さんも知らない。お給仕の人を呼んで聞いて「ちやうじなす」だと云ふ。丁子茄子と書くのだらうと思ふ。そんなにお氣に入つたなら、もつと差し上げませうと云つて、お膳の上に追加を取り寄せて下さつた。それをみんな食べてしまつた。そんなにむしやむしや澤山食べる物ではなささうだとは思つたが、醉つてゐると、うまいとなれば留めどがなくなる。
 家に歸つてから近所の食料品屋に、ちやうじなすを持つて來いと誂へた。どんな物だと聞くから、またたびのへたに似てゐると云つたが、私がさう思つただけで人には見当がつかないらしい。探して見ますと云つたきりで半年ぐらゐ經つ。もう忘れてゐるだらう。



『鬼苑漫筆』内田百間 

 ウィキペディアより▼

 内田 百間(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家。本名は内田 榮造。
戦後は筆名を内田 百﨤と改めた(読みは同じ。﨤は門構えに月、U+9592)。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。
「百﨤」は、故郷岡山にある旭川の緊急放水路である百間川から取ったもの。別号の「百鬼園」を「借金」の語呂合わせとする説もあるが、本人は一応のところ否定している。
 迫り来る得体の知れない恐怖感を表現した小説や、独特なユーモアに富んだ随筆などを得意とした。後輩の芥川龍之介に慕われたほか[1]、師である夏目漱石の縁故から夏目伸六と親交が深かったことでも有名。





旺文社文庫
いささ村竹・鬼苑漫筆
内田百間
旺文社 (1982/12 出版)




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