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法然 5 死後・嘉禄の法難
アサヒクラブで法然について読んでいる。
隙間時間を利用してのことだが、1/4は読めたような気がする。
わたくしにも言えることだが、人間は自分中心に物事をとらえる。
そこまでならば良いが、自己中心で物事が動くかの如く考えら場合、感情を爆発させることは度々みられる。
集合体によっては多数が個に爆発をさせる場合があるが、例年では普通の行いに対して、白い牙を向ける場合がある。
古参(私)と言ってしまえば聞こえが悪いし印象も悪い。が、逆に新参者が古参を脅かし,心無い言葉を投げかけてくる場合がある。
別に気にしない風を装って気づかないふりをしてはいるが、心穏やかではない。
集合体によって、好きな能楽が心から味わえなかったり、気分が阻害される場合があるが、集中して楽しもうと努力する。
努力
集中する努力。それこそが重要。
上のような場合、何事においても気づかない風を装い、なおかつ集中する努力が不可欠なのである。
日本人は傾向として宗教を持たない民族だといわれることが多い。
その実私もいい加減なもので、かろうじて仏教、、、両親と先祖の墓は仏教だったな、、程度であった。
その仏教知らずが、最近 仏像や仏教を学ぶ機会に恵まれている。
理論こそあやふやなものだが、ここにきて一つ身についたことがあるので、ここで記しておこう。
何事もほどほどに、そして許す心
これは講義で教えられてないが、講義の要約の軸となることを要約し鑑みると、私が思うに宗教において大切なことは、細かな知識を身に付けることよりも、
何事もほどほどに、そして許す心
が かなり重要であり、生きていく上で 生きやすさを感じるのではないかということである。
聖徳太子の云う、いわゆる
和を以て尊し
に通じるのではないかと考える。
途中何度も挫折はしていたが、ブログを始めて6600日がたった。
本日も吉日。乱鳥 健在也。
法然 1 京博のために、法然上人を下調べしてみる。
法然 2 生い立ちと出家・授戒
法然 3 長浄土宗の開宗 念仏すれば誰でも極楽浄土へ往生できることを知った聴衆たちは大変喜び、三日三晩、断えることなく念仏を唱え続けた。
法然 4 讃岐配流と晩年
法然 5 死後・嘉禄の法難
死後・嘉禄の法難(ウィキペディア)
法然の死後15年目の嘉禄3年(1227年)、天台宗の圧力によって隆寛、幸西、空阿が流罪にされ、僧兵に廟所を破壊される事件が発生した。
そのため、信空と覚阿が中心となって蓮生(れんじょう、宇都宮頼綱)、信生、法阿、道弁らと六波羅探題の武士たちが護衛して法然の遺骸を嵯峨の二尊院に移送した。
更に証空によって円空がいた太秦の広隆寺境内の来迎院に、更に西山の粟生にいる幸阿の念仏三昧院に運び込んだ。
そして、法然の十七回忌でもある安貞2年(1228年)1月25日に信空、証空、覚阿、幸阿、円空らが見守る中で火葬して荼毘に付し、遺骨は知恩院などに分骨された。
天台宗 ここでは、延暦寺
売れない
時代小説作家でもあります。
二枚目の上に時代小説作家さまでありまするか!
しかも、美談美女!
私小学生の頃物書きにあこがれて、作家と結婚するんだ!と思うておりましたが、
多少近しいかもの職業の夫と結構いたしましたが、作家ではございませんでした(笑)
イケメン息子さまに幸あれ!!でございまする。
Oh! しめしめ
(嘘で^^ごじゃりまする)
私まじめ人間、うっきっき
息子さまが、イケメン息子さまなのでしょうか?
二枚目家系なのですね^^
妄想がつきませぬ、はい。