写真は、天神祭 船能 『猩々』 帝国ホテル
謡曲『松風』 3 (能を読む「翁と観阿弥 能の退場」(角川学芸出版))を読了。
(片岡仁左衛門様と中村扇雀様に感謝して、歌舞伎『堀川波鼓』を掘り下げるために)
能を読む「翁と観阿弥 能の退場」より『松風』を読む。
能を読むシリーズ4冊は天野文雄先生の講座を通して知り、近くの本屋から角川学芸出版に取り寄せていただいたもの。
このシリーズを読めば天野文雄先生の能楽の社会人よう講座を思い出し、わかりやすく、また能楽が見たくなる。
解説はいうまでもなく詳しい。
そして、原文と解説文とが上下に書き分けられており、非常にわかりやすい。
古文のちょっとした言葉も頭注で読み砕いて内容を推し量るのではなく、現代文で書かれているので、普通に話を読み解く感じでわかり良いのが特徴。
また 『能を読む、、、』では、活字が美しいのも特徴。
紙質の色合いが美しく、活字が美しいのは、少し可愛いお年頃になった少し齢を重ねた私のような人間には見やすく、ありがたい。
松風の説明(p.257 能を読む)として、少しだけ書き写したい。
あらすじ
西国修行の旅に出た僧(ワキ)が、須磨の浦でいわくありげな松を見て、里人(アイ)に尋ねる。
それは、行平中納言が須磨に流されていた時に愛した松風・村雨姉妹の墓標であった。
日が暮れたので僧が近くの塩焼き小屋に立ち寄ると、そこへ折からの月光の下、二人の女(シテ、ツレ)が海女の身を嘆きながら潮汲み車を引いて帰ってくる。
塩屋で僧が墓標の松を弔ったことを述べ、行平の和歌を口ずさむと、二人は涙にくれ、自ら松風、村雨の幽霊と明かして、行平との恋物語を語り始める。
やがて行平の形見の烏帽子、狩衣を取り出して懐かしんだ松風は、これを身につけ、狂乱の心となり、磯部の松を見て寄り添い、恋慕の舞を舞うが、夜明けと共に波風の音に紛れて消え失せる。
話の中身は違う。
全く異なる内容の舞踊だが、なんとなく考玉あるいは、松竹座でみ見た片岡仁左衛門様が演じられた、、、、、、『二人椀久』を思い浮かべたのはなぜか知らん。
おそらく、今年七月の仁左衛門様、扇雀様の歌舞伎『堀川波鼓』をみて大きな感動を受けたからに相違ない。(ちなみに今年の『堀川波鼓』は代役であった中村勘九郎様でも見たが、彼もガンっておられたことを付け加えておきたい)
謡曲では、狂乱の心となり、磯部の松を見て寄り添い、、、とある。
そしてその前には、姉が松を行平と見間違い、妹がたしなめる(要約)といった場面が記される。
このことを踏んで、近松は『堀川波鼓』を書き認め、それを脚本化して歌舞伎の『堀川波鼓』は生まれたのであると思われる。
歌舞伎『堀川波鼓』では、他にも数多く謡曲『松風』を引いて脚本及び演出されている場面が多く見受けられる。
歌舞伎『堀川波鼓』でうたわれる謡『松風』をどのように関連付けさせてあるのかが知りたくて読んでいる謡曲『松風』であるが、思わぬ事実を多く知ることができて、書き物、やがては狂言(歌舞伎など)に脚色化された場合の面白みを知ることとなったことは喜ばしい。
みなさま、拙ブログにお越し下さいましてありがとうございます。
感謝申し上げます。
片岡仁左衛門様,中村扇雀様,ありがとう!の『堀川波鼓』関連記録
『堀川波鼓』1 『近松全集』 『名作歌舞伎全集 第一巻』 『近松全集』より
『堀川波鼓』2 片岡仁左衛門 休演>< ご回復を願っております。 感情移入よろしくの、あっぱれ!中村扇雀さん^^v 今回の『堀川波鼓』は良かった。
『堀川波鼓』3 歌舞伎役者 中村扇雀様
『堀川波鼓』4 仁左衛門様と扇雀様の『堀川波の鼓』が続行されている^^v そして、近松の魅力を少々^^
『堀川波鼓』5 『名作歌舞伎全集 第一巻』 『近松全集 第四巻』 『日本古典文学大系 近松浄瑠璃集 上』より『堀川波鼓』を繰り返し読む。
『堀川波鼓』6 『堀川波鼓』下巻大筋 『近松全集 第四巻』『堀川波鼓』横山 正 引用 (片岡仁左衛門様、中村扇雀様へは感謝の気持ちでいっぱい)
謡曲『松風』 1 (観世流謡曲百番集)を読了。 『堀川波鼓』詠われる『松風』を読む。 片岡仁左衛門様と中村扇雀様に感謝する。
謡曲『松風』 2 (謡曲集上(日本古典文学大系 岩波 赤))を読了。 片岡仁左衛門様と中村扇雀様に感謝して、歌舞伎『堀川波鼓』を掘り下げるために
謡曲『松風』 3 (能を読む「翁と観阿弥 能の退場」(角川学芸出版))を読了。(片岡仁左衛門様と中村扇雀様に感謝して、歌舞伎『堀川波鼓』を掘り下げるために)
在原行平 1 『堀川波鼓』関連する在原行平について調べてみる 謡曲の『松風』は百人一首の行平の和歌や、須磨漂流などを題材としている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます