謡曲『高砂』 観世流謡曲百番集より
私は謡を心得ないが、観世流謡曲百番集では、言葉の右に、歌い方が説明されている。
高砂や この浦船に帆を上げて
月もろ共に出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や
遠く鳴尾の沖こえて
はや住の江につきにけり
はや住の江につきにけり(サラリ)
観世流謡曲百番集では、
(サラリ)高砂や この浦船に(ユルメ)帆を上げて
月もろ共に出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や
遠く鳴尾の沖こえて
はや住の江に(ユルメ) (シズメ)つきにけり
はや住の江につきにけり
(サラリ)
(ユルメ)
(ユルメ)
(シズメ)
後はリズムをとる?「 、」
(サラリ)(ユルメ)(ユルメ)(シズメ)左以外の「 、」を考えると、謡の場合は某氏がおっしゃるように「ただただ舟を漕ぐように」というのが吉と考えるのかは、私には、詳しくはわからない。
しかし、私のこれまでの知識方考えると謡曲『高砂』には、しっかりとしな話の展開があり、最後は住吉の精に会い、祝い、寿ぐと云った内容なのだが。
某氏は能楽師の言葉を間違って受け取っておられるのだろうか。
ただただ舟を漕ぐ様に歌うのは、謡曲『高砂』の一部分である。
だが、元をたどると「ただただ舟を漕ぐように」という内容なのかとも思う。
私には確信が持てないので、これまでに見たり学んできた『高砂』を自分で調べる必要性を感じた。
一度、能楽研究者の天野文雄先生にお尋ねしてみたいが、生憎コロナで講座も出席できない。
何より、天野文雄先生の講座は昨年で終わり迎えたはずなので、お会いする機会がない。
天野文雄著の本は多く持っているので、能楽も少しづつ学んでいきたい。
高砂はあまりにも有名な曲で、その説は多く、学者によって異なる。
天野文雄先生は多くの学者や能楽師の異なるお考えを丁寧にプリントして説明し、その上で、「自分はこういう理由で、この様に考えている。」と云った真っ当な学者であるので、共感が持てる。
高砂で印象深い場面はいくつかあるが、その中でも「老松」という言葉は痛烈に心に残っている。
以前金春流の能楽師に『八幡弓』の講義を受けたことがあるが、『高砂』は『八幡弓』に比べて意識して面白くしてあるという旨が、『謡曲集 上』(岩波 日本古典文学大系)に記されている。
しかし、『八幡弓』の縁起の良い家があったなどと、『高砂』がどう結びつくのかは、私にはわからないので、ぼちぼち調べていきたい。
『刈萱』関係は調べたいは、『高砂』にも興味を持つは、『仁勢物語』&『伊勢物語』の比較はしたいは、『源氏物語』や草子や絵巻物や歌舞伎は読みたいはで、頭がこんがりかけている。
結構読書に時間を費やしてはいるが、それでも時間が足りない。
云えることは、このコロナ禍で、今できること、今興味あることを思い存分楽しみたい。それしかない。
続く
謡曲『高砂』 1 観世流謡曲百番集、岩波 日本古典文学大系 より
謡曲『高砂』 2 『高砂』をネット検索すれば、どういう結果が生まれるかを、『観世流百番集』を添えて確かめる試み。
謡曲『高砂』 3 『伊勢物語』百十七段と高砂の関わり
『高砂』 4 『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり
『高砂』 5 『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』 住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう) 大君守護 万民寿福 上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。
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