「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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介護者の揺れる心

2005-04-19 | ●介護録(~2015.2月)
10日近く続いた母の外歩きに疲れ切って、ショートステイの予定を進めたら、皮肉にも母が落ち着きだす。その結果、今度は私が迷いだした。
「この落ち着きならショートを使わなくてもまだいける」とか
「かえって母をストレスにさらすのではないか」とか
「デイでさえいやがっているのに、それ以上のことを母にさせるのか」とか。
高齢者介護、とくに認知症となれば、本人を差し置いて、介護側が決断しなくてはならないから、どんな形をとるにしても、「これでいいのか」という不安、「こうしていたら」という後悔が頭の片隅に必ず残る。

ホントに介護はキツイ。

介護仲間のタンポポさんは、今、ご両親が安心して暮らせる場所をさがしている。
ここに至るまでには、紆余曲折、様々な事があったようだ。その時、その時に、いろいろなことを考えながら、最良と思える形をとってきたはずのタンボボさん。
それでも、振り返えると、「if……」という思いが湧いてくるようだ。

理屈で「○○したほうが××になってヨイだろう」と思っても、「でも、母はきっと○○と思うだろう」と、私たちは、肉親であるがゆえに、「思い」が働く。
自分の親への思い、そして、被介護者である親のが、おそらく悲しむとか、嫌がるという心の動きを先読みする。

タンポポさんが日記に中で「穏便にと思った結果」というような言葉を書いていた。
その気持ちが手に取るように分かる。
なんとか、被介護者を傷つけずに、やんわりと、悲しませず、嫌がらせず、穏やかに……そう思う。
自分も辛い思いをしたくないし、どこかで、「母がかわいそう」と思う心もある。

穏便に……母が認知症だと断定される前に、交通事故とか心臓で突然………そうなってくれたら本人は幸せなんじゃないか…
まだ、病院受診をする前、そんなことを考えたこともあった。