「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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捜す所がナイ―〈介護〉

2006-10-29 | ●介護録(~2015.2月)
日ハム日本一の気分もつかの間、介護は続く……まっ、当たり前だけど…

母のせいでいろんなモノがなくなる。なんでもないようなモノは探して出てこなくても「そのうち出てくる」と思いそれほど気にならない。
だけど「新しく買った物」「お気に入り」「大事なもの」がどこかにいってしまうと、「どうして新しいものばかり隠すのよ}」と思ってしまう。一気にテンションが下がることもある。

今夜母がどこかに片づけたものは、フェリシモで買い今夜初めて使った耐熱ガラス容器。けして高価なものじゃない…けど100円ショップで買ったわけでもなく、お気に入り。
食器洗いをしている間にどこかに拉致された
あちこち探したけど発見したのはフタのみ…どういうことよ???
オリーブオイルやピザ用チーズを使ったままの容器は未だ洗われることなく、どこかにある……どこだぁーーーー気になる…

家の中にある限りいつかは出てくる。だけど、イヤだ。

例えば、私の服なども知らないうちに取り出して分からない所に片づけられることがとてもイヤ(母が着てしまうことは気にならないけど)。

たった一つのフォトフレームさえ、ものすごーい覚悟をして置いた。何日かに一度はやはり拉致される。(ガラスの小瓶はもっと頻度が高い)

さっきは、仏壇に飾ってある花が、剣山ごと花瓶から出されて居間においてあった。水がないと枯れちゃうでしょ、と言ったら「これは大丈夫なの」だって。

で、今夜の私は、母の言葉をかなり無視。これって虐待らしいけどさ~~