「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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依存になれてしまった??

2007-04-02 | ●介護録(~2015.2月)
もはや、母は一人で過ごすことが出来なくなっているようだ。

少し前までは、それなりに、片づけもの(これもまた問題ではあるけど、自分の部屋のものをあっちへこっちへ…という分には、まあ、ほっておけばよかった)をしたり、テレビを見ていたり、昼寝したり…一人で過ごす事も出来たけど今はダメ。

これって、誰かが相手してくれる環境に慣れすぎじゃないのかしら?
デイサービスはもちろんいつも誰かが側にいる。
ヘルパーさんが来る日は、二時間ばかりとはいえ、1対1で相手をしくれる。
そして、母の生活のあれこれ、私がリードする。
しなきゃどうにもならない状況なので仕方ないのだけど、そういう依存する生活につかってしまってる…そんな気もする。

日曜日、私は朝らかずっと母に寄り添うような介護は出来ないので、徘徊でもしない限り、ほっておく状態になる。
そのせいか、とにかく午後から何度、玄関の出入りをしたことか。
階段を降りていかないだけマシ。
とにかく「一人」はだめなんだ。

いつだったか内科に行ったとき、受診していた複数のお年寄り。みなさんお一人。足が弱っている方もいたのだけど健常者。その中の一人が会計をすませ帰ろうしているとき、ちょっと時間が掛かった。やはりお年がいくとサイフをしまったり…ということに手間どるわけ。とはいえ手を出すほどのことではない。
でも、それを見た母は、受付の人が何もしないといって怒っていた。
なぜこの程度で?と思ったけど、それはいつもデイのスタッフが手をさしのべてくれることに慣れたせいか、と感じた。

思えば朝のお迎え。靴はそろえてくれる、上着は着せてくれる、ボタンまでしてくれる。
私と出かける時、私はいちいち母に着せたりボタンしたりしないもんね。
手っ取り早いからかもしれない。サッサと連れて行きたいからかもしれない。
それとも、そこまでやるのが当たり前という発想があるのか。

出来ることを奪うな…と医療SWに言われたこどかある。
奪いたくはないが、任せられないことも多く、サッサとやってしまうことも数多い。

果たして、介護って、どこまで優しく、どこまで手助けし、どこまでその人本位を貫くべきなんだろうか。

■ただいまの捜し物
玄関に飾ってあった小さな小さなクマのぬいぐるみ
デイの着替えを入れるのに使っていたナイロン素材のきんちゃく
今朝食べようと買い置きしていた蒸しパン(生ものなのでとても気になる…母の胃の中か、とも思うんだけど、それにしてはゴミがない)
お箸
箱テイッシュ用のカバー(去年の夏から見あたらない)