「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

【介護】「徘徊」の「記憶」

2010-02-26 | ●介護録(~2015.2月)

先日のアンさん契約時
Hケアマネから興味深い話を聞いてのでご紹介します

入院され認知症が進行した男性が、病院で徘徊が出るようになり
当然看護師さんに止められ…
でも、実際に外に出てしまい、一般の方に保護されるようなこともあったらしい

でも、この男性、退院すると状態が好転
(といっても回復したわけではなく、その後進行していった)
すると

「一人で勝手に出て歩くの、あれ、何て言うんだっけ?徘徊だったか?」
「入院している時、徘徊になってさ~」
「何かしようとすると周りがダメだ、ダメだって止めるんだよな」
などと話だしたんでっすて!

目的は覚えていなかったけど、その目的のために外に出る必要があったらしい
ところが、途中で方向がわからなくなり「困った」と思っていたら
声を掛けてくれた人がいてホッとした…と、語っていたそうです

ビックリです、興味深いです。

これをビゴ母が徘徊していた時に当てはめると

目的は、「昔住んでいた街に帰る」とか「○○を頼まれた」とか「人捜し」
とにかく目的があるから、止められるのはとてもイヤなわけだよね~
私が一緒に行こうとしても「結構です」という感じだったし
その時の母にとって私があれこれ言ってくるのは……一言「ウザイ」?!

で、歩き出すけど、そのうち目的を忘れる
そして、どこを何のために歩いているか分からなくなる
前述の男性が「困った」と思ったら誰かが声をかけてくれてホッとしたように
少し時間を置いてから母に声をかけると
「あら、いたの」なんて感じになってスムーズに素直に帰れたのも
実は、その時点で「ホッ」としていたのかも

逆に言えば、そういう気持になってから声をかけないと失敗する
目的意識のあるうちは止める方向の働きかけはムダ
付き合うほうは大変だけど
快よく?「いってらっしゃい」と送り出し
目的意識が薄らいで「あれ、困ったぞ」と思う時まで堪え忍び
ここぞというときに声を掛ける

これが一番ヨイ方法なんだな~~~と、納得するような徘徊の記憶物語りでした。

認知症が治る病気になる時代がきたら
回復した人には「認知症だったときの自分」という記憶があって
あの時は……なとど語るようになるんだろうか
そうすると、何をどう感じていたか、見えていたかが分かるわけで
介護の仕方も変わってくるかもしれない

自閉症だった女性が成人後ある程度の回復をした人がいて
その人に
昔、熊の縫いぐるみを見て笑っていたのはなぜ?と聞いてら
あの時はぬいぐるみが踊っているように見えたのです…と答えた
という話が書かれていた本を読んだことを思い出しました。

認知症の母が治って
「あの時はさ~徘徊して大変だったんだよ~~」
と、語り合える日は………来ない
来たら、オモシロイな…でも、来ない
お互いが「あの世」にいったらそんな話が出来るのか?