「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

Tatting:ストラップ

2013-02-22 | ★タティング作品

オリムパス金票#40 ボカシ使用。

洋書に載っていたパータンを参考に、一番簡単そうなものから手をつけてみた。
やはり、こういうのは細い糸の方がいいかな?

ヒモはノードステッチ(ねじり編み 表5目裏5目の繰り返し)

※スパイラルステッチと書いてましたが間違いでした。スパイラル~は表目繰返し。


介護:介護度が上がる虚しさ

2013-02-22 | ●介護録(~2015.2月)

介護度1とか2の時は、3になることを望んだ。
介護度が上がるのは進行を意味するから、ホントは嬉しくないのだけど
徘徊とか、問題行動が山のような時には、3になれば介護保険限度額が高くなり
その分、デイに行ける回数が増やせるという利点があったから。
もちろん支払いは高くなるのだけど
その頃の私にとっては
払うモノが少々高くなることより、週一回、デイを増やせる事のほうが大きかった。

今回の認定更新でやはり介護度は5になった。
寝たきりではないことにちょっと望みをかけたけどやっぱり無理だった。

5になって当然限度額は大きくなったけど
………今、これ以上使えるサービスはないので、ただ単価が高くなり払うモノが増えるだけ。
払う側としては、なんだか損な気分
結局、家族としては、「とうとう5になっとしまった」という虚しさにため息するだけ。

認知症の場合
歩けないとか、自力の食事や排泄が困難になることがそのまま介護度の高さななの?という疑問はある
歩けてトレイにいけて食事もガンガン出来たとしても
理屈が通じない、理解しない、記憶が混乱、妄想や作り話にそって行動、昼夜逆転、徘徊などなど
むしろ、元気で2とか3の介護度しか出ない時のほうが人手が必要だったりする。

私自身の介護だって 正直、今のほうが楽。
手がかかるけど、楽。

勝手にどこか行ったりしない
寝ていることのほうが多い。
完全紙パンツだけど
むしろ一人でとトイレに行けてる時の方がそのたびに様子をうかがいよごさないか注意し
(しかも本人にそれをさとられないようにしないと問題が大きくなる)
汚していたら掃除。
夜中だろうが明け方だろうが対応しなくてはならない
今は
夜用バンツやパットをして、朝まで起きないから、夜中のトイレに付き合うこともない。

認知症の初期から中期、問題行動がどんなに山盛りもでも
歩けるし食べられるしコミュニケーションもそれなりに取れると(認知症ってこんな感じが多い)
自立しているとみなされて介護度は高く出ない。
しかし、それはけして自立ではないのよね。

例えば
時計を読めても、○時だから○○するという判断が出来なければ自立ではないということ。
なのに、案外(認知症に限らず)時計を読める=自立なんて判定されたりしてしまう。

医師の意見書のチェックが選択制で
日常生活が自立出来ていないと「寝たきり」という潭鼓が含まれ
「いや、うちは寝たきりではなく全く歩けないわけでもなくデイに通っているんですけど……」
と、「寝たきりではない」項目にチェックしようとすると「日常生活が自立」になってしまう
でも、トイレ、食事自立してない母。
ビタリ当てはまるモノがないけど、うちの主治医は、とにかくどっちかにチェックしないとならないから…と言う
なんだかな~~
まあ、医師が所見を書く欄があるのでそこに今の状態を書いて貰うんだけど…

いつも、この調査の時には
ホントはケアマネとか小規模多機能のスタッフが状態を調査した方が早いよな…と思う。
たぶん、なれ合いになって手心加えないようにってとこなんでしょうが……。