ご挨拶
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
昨日の母は調子よかった
車椅子にも乗ったし、朝からタンの量も少なく
面会のときも起きていた
夕方になってタンが絡み出した時
「大丈夫?」と声をかけたら
珍しく、ホントに珍しく
「ウン」とうなづいた。
その後、私と看護師さんが母の枕元で話していたんだけど
会話が聞こえているかのように
なにか、返事のような、相づちのような反応をみせた
私が一人で話しかけるより
誰かとの会話のほうが反応があるように思える。
理解しているかはともかくとして、聞こえている、聞いている……
そういう何かはあるんだろう
この看護師さんと話している中で
「胃瘻の希望はないんでしたよね」
と言われ……
えっ……………?????
そんな話はしたことがない。
それってつまり
希望したら胃瘻に出来るということ?
でも
認知症も進んでいる
胃瘻にしたところでいくらかの延命
少しでも長く生きてほしいけど
認知症で介護度5で食べられなくてそれでも母は生きたい?
だから
看護師さんの言葉に
「いえ、希望します」と即答も出来ず
療養病棟に移るときに医師(一般病棟の)から言われた
「食事を止め嚥下訓練をする。その結果によって胃瘻の選択もあり」
を看護師に話し
胃瘻のことを考えながら嚥下訓練を待っていたけど
いっこうに始まらないし、母の様子を見ていても
嚥下訓練自体が無理なんだろう…と思っていたと言った
すると嚥下訓練に関しては
「多分、リハビリの人が見て嚥下は無理と判断したんだと思います」
と看護師。
(まあ、そうなんだろうけど、それがなぜ私に伝わらないの?今になって「多分…思います」って…)
先月初めに療養病棟の医師から
「退院はない」といわれ、
さらにそのときがGW直前で医師が休むらしくその間のシフト体勢と
緊急時にはどうのこうの……という話をされた私は
あれ、なんかもう死ぬの?
という気分になっていて…
もはや母の状態は、今更胃瘻云々というレベルでもないんだな…と…
以後、そういう気持ちでいた。
なのに…今
胃瘻の希望はないんでしたよね…
と言われ……
私は何も一度も選択していないんだけど………
頭の中に「?」が広がる
でも看護師がそこで誰かに呼ばれて話は中断。
入院したばかり頃は当然今より体力があり反応もよかった
笑い顔もあったし言葉もあった(意味不明だけど)
エア食べもしていた
だから
ただ、飲み込みが出来ないだけで体は生きる力があるのだから
胃瘻を選択しよう…と、そう思えた
でも
長い点滴生活でやせてしまって体力も落ちて反応もにぶくなった母を見て
さらに退院はないという医師の言葉に
終末を意識しだして、もう今更…と、そんな思いをもってきた
ある本の中で医師が
点滴のせいでタンがでる(増える?だったかな)
というようなコトを書いていた
そんなことを思い出すと
もしかして胃瘻にしたらタンが減る?
なとど考えてみたり
でも吸引が不要にはならないだろうし
結局入院生活は変わらないのなら
その状態で命伸びても……とも思う
自宅で吸引している人もいるのだけど
訪問医療で在宅介護する覚悟が自分にあるか?
……ああ、混乱
思考停止