「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
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終末ケアと胃ろう、あーでもない、こーでもない

2014-06-24 | ●介護録(~2015.2月)

↓こちらは脳外科医のブログ記事です。

終末期の栄養投与

胃ろうについて①

胃ろうについて②

胃ろうについて③

とても読みやすかったのでおすすめします。
この医師は、進行した認知症高齢者に対して胃ロウは余り意味がないという立場。



母の入院時、「胃瘻の選択もあり得る」と医師(一般病棟の)に言われていろいろ考えた

なぜ悩んだのか…
それは「胃瘻が無駄な延命」という声が大きくなってきた時だったからかもしれない
胃に穴を開けて栄養…という行為に抵抗があるというより
無駄な延命を選択するのは「家族のエゴ?」という思いに悩んだような気がする
とはいえ
生きている家族を目の当たりにしたら、簡単に「胃瘻は無駄」とも思えなかった


私は母が痙攣を起こした頃から
脳の機能低下が以前よりスピードアップしていて、先はそう長くないと感じ、看取りに関する本を読んでいた
病院に行かない系の本も売れていた
その中では当然、胃瘻は否定的に書かれていた

こうした本やネットで出てくる「胃瘻否定」は
大抵が(たまたま私が見たモノは)
「食べられなくなったら終わり」
「人としての尊厳云々」
というようなもので
なんとなく漠然としていたし情緒的
結局、もやもやしたものが晴れなかった
医師が書いたものでも、結構、簡単に「これで生きているといえるのか」的な書き方だったりもした

だからやっぱり「第三者は簡単に否定するけど自分の家族がそうなっても同じ態度をとれる?」
という思いになってそこで堂々巡りをしていた。


結果的に母の場合
療養病棟の医師には最初から胃瘻の選択はなかったようで
中心静脈注射が続けられている
脚の付け根から点滴する…とは言われたけど
それが中心~であることを私は最初知らなかった

そして、もう胃ろうはナシなんだとわかった後の私は
「もし療養病棟に移った早々、今より体力があった時に胃ロウにしていたら
多少、体の状態がよくなり、ゼリーくらい最期の時まで食べられたのでは?」
という思いでモヤモヤしていた。

しかし↑の医師のブログ記事によると

進行した認知症の高齢者は、胃ろうにしたところで
栄養状態の改善は期待できないようだ。

脳の機能が低下している体はだんだんと衰えるのが自然の摂理

外からどれほどの栄養を与えてもそもそもそれらを吸収する力が衰えていること
むしろそれが負担になること
そうした理由がわかりやすく書かれていて
医学的視点からの説明が
いくらか気持ちをフラットにしてくれたような気がする

でもね…簡単に晴れ晴れ~~というわけではなくて
(もう母はこのまま中心静脈注射でいくけれども)
やはり今も、胃ロウの選択を迫られたら、簡単に決断できないような気がしている


胃ロウは栄養補給ルートとしては鼻からや中心静脈注射より優れている
本人負担も多分少ない
ケアの観点からみても管理しやすいらしい
さらに口から摂取と併用も出来る
なので、一時的に食べられないなど口から摂取が再開出来るであろう人にとって有効な手段。

母のように進行した認知症では口からの再開はナイないので
胃ロウにより「栄養状態の改善、褥瘡予防、誤嚥性肺炎予防になる」など
と言われていることに根拠がない(2006年、アメリカの報告)のならば
胃ロウにする必要性かない…ということになるようだ。

ただし胃ロウ推進派の方が
アメリカの報告は古く、現在は胃ロウ後のケアが進歩しているからその報告を鵜呑みにすることはない
…と書いているのを見たことがある。
胃ロウ後の正しいケアが大事ということらしい。

在宅介護について書かれたある本の中では
胃ロウ>鼻>中心静脈注射の順で、余命の平均年数が書かれていた
その差は半年から一年未満くらい
ブログの医師は
これらの方法で生命予後に明らかな違いはない…としている

生命予後に半年程度の差があるとして
その差をどう考える?
私は単純に長生きしてほしいと思う気持ちがあるけれど
母を見ると
もう、いいよね…と感じたりする
でもひょっとしたら本人は、少しでも長く生きたいと思うのかもしれないし……
ああ、だから…
だから自然の摂理に任せるんだ…と言ってしまうと
食べられなくなったら終わりでしょ
ということになる
だったら
母の中心静脈注射もはずす?
外からの栄養注入という視点から見れば
胃ロウも鼻からも中心~も同じこと
胃ロウだけが人の尊厳云々というのはどうなんだ?
ただ胃にアナをあけるから否定?
中心静脈注射はずっーーー点滴につながれたままだし
その点胃ロウのほうがいいんじゃないか?

………などと考えると、わけわからなくなる

が、が、が………
ポイントは、進行した認知症ということか?

脳は衰える
体の各機能も衰える
もう過度の栄養はいらない
むしろ負担

でも

実際に家族が胃ロウになった方が
在宅介護をしながら「やってよかった」と語る
胃に栄養を注ぎながら「表情がよくなった」と感じたり
ペットの動きを二人で見ながら笑い合い「生きていてくれてよかった」と思う

その瞬間を否定する権利は誰にもない。

だからやっぱり私はわからない…わからないまま…
賛成も反対も出来ない

ただ

進行した母には胃ロウにしてまでの栄養注入は負担
このままの終末でいいんだ…と…
そういう気持ちをかみしめている

そう思えたのは、脳外科医のプログ記事を読んだから…

ただね…なんだろ、この認知症による終末

とても切ない