「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

【介護】記憶の引き出し

2010-07-04 | ●介護録(~2015.2月)

母の日本語は多くの場合かなり意味不明

短い言葉は、まあいいけど
長く話すと、何を言いたいのかワカラナイ
そんな言葉の中に時々、脈略もなく
親戚の誰かの名前とか、母の昔の友達や、私の幼なじみの名前が
ポコっと出てくる

今日は、なにやらしゃべっている合間に急に

「点と線」
って言い出した。

「点と線」…「点と線」…
繰り返す

松本清張ですか?

どうして急にこんな言葉が出て来るのかは不明

でも、つまり、こうした何かの記憶は「失われている」のではなく
「埋もれている」のだな…と思う

「適切な単語が適切な時に出てこない」
でも
記憶の引き出しの中に、それは確かに存在している
それを自分の力で必要な時に必要な分だけ引き出すことは出来ないんだね
おそらく最後には
「言葉」として「声」に出すことさえも出来なくなるんだろう

認知症の暴力は「思い」を「言葉」にして伝えられないために出るとも言われる

市内のある病院は(精神科)暴力の出ている認知症者を数人で取り押さえながら
「○○さん、何が言いたいんだ?!何をしたいんだ?!」と
医師や看護師が怒鳴っていた(と伝え聞いた)
「ここの医者と看護師は○カか?」と言いたくなる
怒鳴って抑えて何が解決する?それでも専門家なの?…って思う

うちの母もこの病院のデイケアに通っていた時には
帰宅願望が強いから着いたらずくに安定剤を飲ませられる羽目になった
当時の私は何も分からず、保健師の「行きなさい」という言葉に薬を飲むことに同意した
(もう一つ通っていたデイサービスに空きがないため徘徊する母を週何日も一人でみなくてはならなくてやめられなかったし…)
その後、そのほかにもいろいろあって結果的にはやめたけど
最後に看護師といろいろ話した時に
「安定剤を飲んで落ち着いて座っていられるのもデイケアの効果です」と言われたのには驚いた
こんなことを「効果です」なんて言える専門家の意識って?

理解不能



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