孤独を感じる。自分のために生きてないという気がする。世の中から取り残された感じがする。社会人として生きてない気がする。
ラジオ相談で、32才の男性が、両親の介護のため仕事をやめ、株をやりつつ生きながら、いつまでもこのままなのか?と自分の生き方に疑問をもって相談していた。
彼は私と同じ一人っ子で介護する者は自分しかいない環境。
男性だし、何ごともなく仕事をしていたら今頃は…と、思わないはずがない。
その彼に回答者は賛辞を送った。凄かった。そんなに誉められる事なのかしら?と思うほど。
親の介護という道を選び、そんな中で株を勉強した彼に、回答者は「無形を有形にする力がある」「あなたは毎日をしっかりと生きている」「今の自分を信じて」と語り、「あなたとこうして話したことを私は一生忘れない」とまで言った。
人は誰でも自分が生きている価値を見いだしたいものだ…とパーソナリティーが言った。
豊かな暮らしや社会的な成功、充実感を得られる仕事、自分は今これをやっているんだと胸を張って言えるようなモノ…無意識のうちにそういうことが価値あることだと人は思う。
介護生活はそれとはかけ離れ、どこかに、親の犠牲、自分には何もない…という気持ちがうまれる。
でも、社会的な成功だけが価値ではないのだと、パーソナリティーが相談者の彼にエールを送る。
介護してる事、特にエライことじゃないけど、価値のないことでもないんだよね。
でも、人間って、ついつい仕事バリバリ、趣味もパワフルに生きてる人、カッコイイ、ステキって思う。
ないものねだりしてみる。
時間がない、制限があるとなおさら、あれもこれもやってみたくなる。気持ちはあせる。
胸を張って介護が仕事です!って言ってもいい。
でも、そのことで同情されたくない。エライなんて言われたくない。大変だろうなんてことは誰にでも想像がつくだろうから(実感はないにしても)。
私はただ、そういう生き方もありだねって、理解して欲しいかな?
私は毎日をそれなりに、やりたいこともやりながら、生きているから。
社会の中の、何モノにも属さないんだよね。物凄く不安定。
家事手伝いでもない・・・だって自分がメインなんだもん。
無職でもない・・・だってやること沢山あるもん。
あと20年経っても、父にゴハンのことでブツブツ言われてるのを想像するとゾッとするもん。
こういう生き方だってありありよ~と思うけど、っていうか思わないとやってけないし、
だけど、やっぱり、なんだか異端な感じがして、心にいつも風がふいてるような~~~。
20年後……考えるとゾッとする。ホント、ホント。
どうなってんだろ、私…。
たくましく生きてるかな?こうやってブログ書いてんのかな???
私、実家に帰って両親と一緒に暮らしたい。
と、やっぱり思う。
それはとっても、大変なことなんだけど、ママさんはどんどんややこしくなってるし・・・
それでも、一緒に暮らしたい。
嫁になんか来なきゃ良かったよ。(-_-;)
とはいえ、いまさら義理家を出るのも、なぁ・・。
姑の認知症確定は、私の足かせでもあります。
究極、姑のことについて私に責任がないとはいえ、
旦那がも~~~っト、悪いことをしてくれたら、思い切って出て行きやすいけどなぁ(笑)
な~んて、
大変だけど、ご一緒に居られる生活、一面うらやましいものもあります。
無責任なことをいう、と思われるでしょうけど
他人の芝生は私にも青いってことで、
お許し~~~~
在宅から施設等へ…距離を持てて良かったと言う話もあるけど、面会に行ってみたら、あんなことこんなこと手が行き届いてない部分が気になったり、離れている分、余計にいろんなこと考えてしまうってことも、色んな方の話を読んで分かったし、介護はホントに大変で思いテーマです。
トラ子さん、辛い気持ち…大変だ、ホントに。
きっと、お姑さんに対しても「情」があるんだよね?
気持ち穏やかに介護出来る環境になったらいいんだけど…。
だから、やっぱり、ダンナ、カンバレ…なのかなー?
それとも、逆いってもらって………×××。