徘徊は辛かった。
おもらしや紙Pのあれこれも大変。
話が通じないのは疲れる。
モノがあれこれなくなるのはイライラのタネ。
大切なモノがこわされるのも困る。
夜中や明け方に起きられるのもキツイ。
たけど…
何より私が辛くて悲しくてせつないのは
「私」が認識されないこと。
この間は…
私のことを「ビゴちゃん」と呼んで話しながら、同時に「うちのビコはどこいったかしら?オンブして帯広に連れて行ってあげたら喜ぶのに~」と言った
今夜は…
なんとなくふさぐ母に「どうしたの?」と聞くと
「子供をM町(以前住んでいたところ)に置いてきてしまったので心配なんです」と言った。
寝仕度をしてベットに誘導、布団の入ると「気持ちいい」と喜び
「こんなにして貰って~」とカンゲキの面持ちの母の口から私に対して出る言葉は
「ありがとうございます、先生」
どんなに一生懸命尽くしてみても、娘がやってくれている…とおもっては貰えないことが多い私。
散々いろんなことをやった後に、マジマジと私を見て
「今、帰ったの?」なんて言われる。
何をいってるの?
今の今まで一緒にご飯食べてたでしょ!
トイレに付き合ったでしょ!
話してたでしょ!
おパンツとりかえたじゃないの!
でも、それ、みーーーーんな、どこかの他人様がやってくれたことらしい。
私じゃなくていいんだよ。
誰かが私を慰める。
「絶対にわかってるよ。心のどこかで。本能で。」
「娘さんと一緒に暮らせててきっと幸せよ」
もしも魂があって、その魂は、今、脳萎縮している肉体に支配されて本当の姿を表に出せないだけで、だから、肉体から解放されたら、この介護生活をちゃんとおぼえていてくれるのだとしても…現実の、今の私には………救いならない。
悲しいよ。やっばり悲しくて、こんな時はもう介護やめたいの…って言いたくなって、疲れちゃって、認知症を憎む。運命を憎む。現実を憎む。
もう一度、ちゃんとした母と話がしたい。
子供のころの想い出を…
父のことを…
なんてことない話を母としたい…
おもらしや紙Pのあれこれも大変。
話が通じないのは疲れる。
モノがあれこれなくなるのはイライラのタネ。
大切なモノがこわされるのも困る。
夜中や明け方に起きられるのもキツイ。
たけど…
何より私が辛くて悲しくてせつないのは
「私」が認識されないこと。
この間は…
私のことを「ビゴちゃん」と呼んで話しながら、同時に「うちのビコはどこいったかしら?オンブして帯広に連れて行ってあげたら喜ぶのに~」と言った
今夜は…
なんとなくふさぐ母に「どうしたの?」と聞くと
「子供をM町(以前住んでいたところ)に置いてきてしまったので心配なんです」と言った。
寝仕度をしてベットに誘導、布団の入ると「気持ちいい」と喜び
「こんなにして貰って~」とカンゲキの面持ちの母の口から私に対して出る言葉は
「ありがとうございます、先生」
どんなに一生懸命尽くしてみても、娘がやってくれている…とおもっては貰えないことが多い私。
散々いろんなことをやった後に、マジマジと私を見て
「今、帰ったの?」なんて言われる。
何をいってるの?
今の今まで一緒にご飯食べてたでしょ!
トイレに付き合ったでしょ!
話してたでしょ!
おパンツとりかえたじゃないの!
でも、それ、みーーーーんな、どこかの他人様がやってくれたことらしい。
私じゃなくていいんだよ。
誰かが私を慰める。
「絶対にわかってるよ。心のどこかで。本能で。」
「娘さんと一緒に暮らせててきっと幸せよ」
もしも魂があって、その魂は、今、脳萎縮している肉体に支配されて本当の姿を表に出せないだけで、だから、肉体から解放されたら、この介護生活をちゃんとおぼえていてくれるのだとしても…現実の、今の私には………救いならない。
悲しいよ。やっばり悲しくて、こんな時はもう介護やめたいの…って言いたくなって、疲れちゃって、認知症を憎む。運命を憎む。現実を憎む。
もう一度、ちゃんとした母と話がしたい。
子供のころの想い出を…
父のことを…
なんてことない話を母としたい…
困ったこと、大変さ、イライラ、怒りより、「悲しみ」がもしかしたら一番辛くて堪えることかも。。
母と子って、つくづく不思議な絆だなぁと思うわ。
思いっきり泣いて元気だそう~~
憎むのは・・認知症という病気です!!
お母さんと向き合って話せる日がある事を願います☆
ビゴさんの心が壊れないように!!
遠い岡山から”元気送ります”!!
何も出来ないけど応援してるよ(一休みね)
ビゴさんの一言一言心にしみます。
涙がながれます。
ウチの母も私と寝ているとき、寂しそうにしていたので、どうしたの?と聞くと
「ウチの人たちに出かけてくると言ってこなかったからみんな心配しているし、帰りたくても帰る道がわからない!」と言って泣いてました。
私は、母が一緒に暮らしている事が幸せなのかは解りません。いつも不機嫌だから・・・・・。
テレビで介護の事をあるコメンテーターが「介護によって一人の人の(介護している私たちの事)人生にこんなに負担になっていいものなのか?考えてしまう。」と言っていました。そのとおりだと思います。
母が認知になって5年・・・夫と娘と3人の時間は、
ありません。私の人生に母がかぶっています。
自分は、自由に旅行して私たちを好きに楽しく育てて
そして今は、愛情たっぷり?の介護をうけています。
どんなにお世話しても世界一不幸な自分と思っている母です。何度私はデイの職員に頭を下げ、仕事を休んで病院に連れていき何度夜一人で泣いたことでしょう。それでも母中心の私の人生です。
もうやめたいって・・・私も思うときがある。
こんな私でもママ泣かないで!って娘は、言ってくれる。だから私は、明るくがんばるしかない!!
でも私も疲れる。
もういいよ。っていってもらいたくなる。
でもがんばる。
母の症状の出方が、あれ、物忘れ?あれ、被害妄想?…って首ひねってるうちに、すぐに他人扱い、お世話になりました帰ります…になっちやったから、介護生活の始まりが、悲しい戦いになっちやった。
すごくキツカッタの。
どの本を見ても、家族を忘れるのは「重度」
今は進行の仕方はいろいろだってことでとりあえず納得しているけど。
「悲しい」って想いは介護のパワーに転換されないんだよね。
終わっても思い出していろいろ考えそうだな~
母と向き合って話せる日…
本来の母とちゃんと話せる日はもう来ないんだろうな~と思ってます。
なんとなく、ピッとしてて通じている時はあるけど、私の名前を呼んでるけど、ちゃんと娘と思ってるかどうかはよくわからないので。
仕方ないかな、こんなもんだ…と思ってる日々です。
施設など利用した方がお互いのためだという意見もあれば、
やはり家で、家族と暮らせるならその方が幸せだという考え方もありで。
私としては、在宅可能の間は私が…と思うのだけど、限界点がわからない。
疲れてくると、ああ、もうムリかな…と思うし、
施設の話をきくと、人手がなくて手が回らない現状に、やはりギリギリまで家で…と思うし。
私も、時に思います。
母は介護経験ナシ。母の両親は80代後半まで夫婦で二人暮らしていたし、義理親の面倒も見てない。
私は、祖父母の入院云々の面倒までみて、父を見送り、そして母の介護。
なんかあんまりだよ~って、能天気な明るい認知症の母を見ていると、あなたは幸せよ…なんて思ったりする。
でも、現実が目の前にあるから……
私もガンバル。
最近、私の母親が祖母という設定で話がすすんだり
息子が弟だったり・・摩訶不思議なことが時々あるの。
最初に、妹扱いされたときは、ついに?って感じだったし
この思い、ビゴチャンはすでに何度も・・とも思って
これ、一番辛いよね。
なんでなんだ?
すっかり忘れてしまうわけでもなく、目の前のビゴチャンにビゴチャンと呼びかけつつ、幼いころのビゴチャンを捜す・・・
哀しい病気だよね。(T_T)
まあね~悲しいちゃーホントに悲しいのよ。
慣れたけど…けど…けど…って、たまにそういう想いがふっと湧くと、虚しいわ…
目の前の私は何者に見えてるのかなーと思うと、ホントに不思議。
この間なんて「だんなサンはどうしてるの?」みたいなこと言うから、私は独り者ですと答えたら
「あら~それはさみしいわね~」と、とってもまともな話をされちやったわ。
最初の頃の私は、母にとって私という人間の存在価値まで考えた。だって、大切なことはそうカンタンに忘れない、だから家族のことは最後まで残る…なんて書いてある本もあるんだもん。
それはあんまりだよ…私って何?って感じよ。
みんなのママさんが、少しでも遅く、遅く、その日が来るように…。