「徘徊」って言葉はなんだか嫌だけど、「徘徊」に違いないのだし、一言で言い表すにはやはりこの言葉を使おうと最近思いはじめました。
23日付け日記で徘徊が休止中と書いたのに、翌日、つまり昨日から見事に復活いたしました。やはり周期があるらしい母の徘徊。
昼の徘徊時、生ゴミを持って帰ると言い出した。今思えば好きにさせておけば良かったのに、生ゴミ持ってお店に入ったりされるのはイヤ!と思ってしまった私は結構しつこく「明日がゴミの日だから、置いていって」と言ってしまいました。やはりそれが母にはムッときたらしく、その後の不穏を招く結果に…。
夜の外出は、この家にはいられない理由らしいものが次々と繰り出され把握しきれず。
この夜、たまたま外に出ていた近所の方が、母に声をかけた後、わざわざ追いかけて来てくださり、母と話ながら家へと誘導してくださった…けれども、我が家に着くと、私に「中にはいって寝なさい。私はこれから帰るから」と、振り出しに。その方、またまた母に付き合ってくださった。とても対応が手慣れているので経験者かな?という感じが…。
徘徊が簡単に治まるわけではないけれど、一人よりは心強くとても感謝しています
ご近所一周半でやっと家に戻った母は「今の人、なんかヘンだ。普通、道で会ったくらいで一緒に歩いたりしない」としばらく考え込むということに…こういう感覚はしっかりしているらしい認知症の不思議。
さて、今日私は夏モノに取り替えて洗った後、行方不明だったクッションカバーをやっと見つけました。
どこにあったか…というと、取り替えた夏ものカバーの下、つまり、二枚カバーをかけてあったわけです。なぜに、そんな面倒なことをするんだろうか、と首をかしげつつも、
夏カバーをはずして、その下の春秋用カバーをはずしながら、ふと思う。
「これは実はとても合理的?雕霓夏が終わったら、上の夏ものを取ればヨイ。すると下から秋仕様が現れるってことじゃないか?」と…。
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