「どうしよう、こんなんなっちやったの」と、母が私の前にやってきた。
私に差し出した両手の指先は……真っ緑!
「なにやったの~」とイイながら洗面所へ
「手を洗って…」石鹸を渡して手洗いを促す私。
まるで子供相手だ。汚れた手をどうしていいのか母は混乱している。
普段の、例えばトイレの後とか、食事などで手が汚れた時に「水で洗う」ことはスッと出来るけど、非日常的といえる「手が真っ緑」にはどうしていいかわからなくなるらしい。
この真っ緑…原因は、「トイレにセボン」
うちのはマリンブルー。本体の中身って、ブルー通り越して深緑みたいなインク。使用中(水に濡れている状態)のそれを不用意に触ると手が緑色になっちやう。
健常者は当然、その点を注意しながらなるべく色が付かないように触るものだけど、母は…………それはもう、スゴイ色になってました
手洗いでみるみるキレイになっていく自分の手。
「よかったわ~~」と心底安堵しているみたい。
ホントに子供と一緒だな~……。
こういう状態って、他人だったらちょっと「カワイイ」と思うかもしれない。でも、やっぱり私は、そこで、昔の母をおもってしまい、悲しいな~と思った。
73歳って、一般的にはまだまだ元気だ。人生の先輩として、いろんなことを相談することだって出来るばす。なのに…なのに…今の母にまともな相談なんてできやしない。日常のちよっとした生活の知恵的なことだって、まともな答えはかえらない。
……… ( ̄◇ ̄;) ハゥー こんなふうに考え込んでしまうととことん落ち込んで泣きたくなるので、こういうことはサラリと流すに限る。
「母の手がね~もう、真緑で、スゴイことになってさ~~」と笑い飛ばして誰かに話せば……それだけのこと。
昨日は、ホームに行くと、トラママはちょうど共用トイレに入っていて、
でも、長くて・・・・
覗きに行ったら「こんなになっちゃった・・・」って
実はどんなにもなってなかったんだけど、
なぜだかトイレに座ったまま、床をトイレットペーパーで拭いていた。
汚したと思ったみたいで、でも汚れてはいなくて・・・
「ちょっとお手伝いさせてね~」ってわけでさ
ともかくお尻拭いて、下着整えてズボン履かせて・・・
「助かったわ~」って言ってたけど・・・
ママさんの周りの世界、どんな風に見えてるんだろうと思うと、不思議ですぜ
訳のわかんない困り方をしているところは、傍目にはかわいい、と見えなくもないけど
そんなにわかんない世界なのかなと思うと
なんだか不憫で、同時に哀しいよ。
その意味でも、なるべく傍にいてあげたいんだけどね・・・そうも行かないっす。
傍から見ると微笑ましくもあるけど当事者になると全くぅ~とか何してるのぉ!になってしまいますよね。
家の父は出来ないのに出来ると思っていたりする事が多くてどうやって理解してもらうかがなかなか難問だったりします。
その時は理解出来ていなかった事が2日位して言われたりするとこちらがその話を思い出すまで時間かかったりするしね。
そんな日もあるさ!と思って過ごせたらいいですけどね(^.^)b
どこか、「失敗しちゃうかも…」みたいな不安感をいつも持っているのかな?母たちは。
確かに、特に何もなってないのに、「どうしたらいい?」っていうのあるような気もする。
思えば徘徊するときの理屈も、大抵は困ったことが起こって、○○へ行かなきゃ…とか、そんなのおおかったし…。
…と思うと、なんか切ないけど……
私は、なかなか優しくなれないよ。
トラコさんが「なるべく傍にいてあげたい」と思う気持ち、読んでいると優しいな~って思うよ。
私はやはり一緒に暮らしてるせいで、「今度はなんなの」って気持ちが前面に出てしまうみたい。
…そういう側面から見ると、距離を置くのが○なのかな~って思う。でも離れていることの辛さも
あるもんね………。
そんな話を本で読んだワ。
話したその時はまったく反応がなかったのに、翌日になってからその話題について話し出した…って。
うちの母も、洗い桶を新しくして一週間たってから、「これ、新しいの?」なんて言い出して…。
私は気づいただけでもエライと思ったけど。
インプットされた情報がピンと響くまで、なが~~いスパンが必要なのかな~
えっ!と思うようなことは一日一回くらいだったら笑って受入られるんたけど……最近、母は元気で動き回るから、次から次べといろいろやってくれちゃうので、こつちの精神疲労回復が間に合わないよー