なぜ世の中には、協力しないくせに口だけ出して、それで立派な人間だと思っているような人種がいるんだろ。そういう輩が親戚の中にいるから始末が悪い。
どんなに年齢がいってても、立場が上であっても、実際に介護をしたことがないんだから、なんの説得力もないのよ。
それは、本で読んだこと?それともTVで見たの?理想論とか、こうあるべきとか、知ったかぶりして言わないで。
だったら、どうぞ、あなたが実践してみてください。そして完璧にやり遂げるのなら、私は頭を下げます。
あれもこれも、みんな介護者の責任なの?
介護者だって人格のある、普通に生きてる人間なのに、まるで、介護のためだけに存在しているように、責められなければならないの?
何かあっても、認知症患者は守られる。周りは誰も悪く言わない。優しく接してくれる。笑って許してくれる。
その分、介護者には、
「どういう経緯でこうなったの?」
「あなたは見てなかったの?」
と、大変だねといいながら、「ちゃんと見てなきゃ…」という気持ちが見え隠れ。
そして最後に決まって追い打ちを掛ける
「優しくしてあげてね」と。
疲れ切った心に、ダブルパンチだよね。
さらに口だけの親戚が説教など始めたら、傷口広げて、私の感情をズタズタにしていくだけ。
捜索願を出し、イライラしながら連絡を待ち、やっと迎えに行った先で、「優しくしてあげて」
「優しく?!これ以上、どうしろって?」本音。
口を開いたら言いたくなるかもしれない。
「お母さんが迷子にならなければ、私はこんな思いしなくて済んだのに」って。
だから沈黙する。心が落ち着くまではそうやって自分を抑える。
「自分の親だから」「育てて貰ったでしょ」
そういわれると、反抗期の子供みたいに「特に頼んで産んで貰った訳じゃない」と言いたくなる。
何しろ、母は「娘なんて産んだ覚えはない」とはっきり私に言う。
「勝手に産んでおいて、これだけ毎日世話してるのに、産んでないだの、親子なわけがないって言われて。私も産んで欲しくなかったよ」本気でそう思い、泣きながら生まれたことを呪うこともある。
きっと世の中は美談を望んでる。
辛い介護を前向きに明るく捉え、被介護者に愛情を注ぎ「介護生活で多くのことを学びました」とか「介護することで得たものもたくさんあります」とか…。
得たモノってなんだろ?
例えば出会い。例えば認知症の症状や介護制度への知識。経験。♪人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから~と「贈る言葉」にあるように、人の痛みを分かる人間になった?
でも、認知症についての知識も介護の経験も特になくても生きていける。知らずに一生終えるならその方が幸せに決まってる。
出会いは、時に宝物。ただ、介護の世界を知らなければ知らないで、別なところで別な出会いはするだろう。
人の痛みも、多少想像力のある人間なら、思いやるとか、さりげなくサポートするとか、出来ないこともない。
あえて介護を経験して良かった、と言えるほどの心の広さは今のところない。
介護者は「私、介護はイヤです。ホントはやめたいです。逃げたいです。でも仕方ありません。だからやります。きれい事だけではすみません。腹がたって、早く何もかも終わればいいのにと思うこともあります。自分のための生活だってしたいです。あれもやりたい、これもやりたい。ほぼ毎日を母優先で過ごします。犠牲になっていると感じるのはそんなに悪いことですか。私にも私の生があるんですけど…」
そんなことをつぶやくことも許されていないのだろうか…。
どんなに年齢がいってても、立場が上であっても、実際に介護をしたことがないんだから、なんの説得力もないのよ。
それは、本で読んだこと?それともTVで見たの?理想論とか、こうあるべきとか、知ったかぶりして言わないで。
だったら、どうぞ、あなたが実践してみてください。そして完璧にやり遂げるのなら、私は頭を下げます。
あれもこれも、みんな介護者の責任なの?
介護者だって人格のある、普通に生きてる人間なのに、まるで、介護のためだけに存在しているように、責められなければならないの?
何かあっても、認知症患者は守られる。周りは誰も悪く言わない。優しく接してくれる。笑って許してくれる。
その分、介護者には、
「どういう経緯でこうなったの?」
「あなたは見てなかったの?」
と、大変だねといいながら、「ちゃんと見てなきゃ…」という気持ちが見え隠れ。
そして最後に決まって追い打ちを掛ける
「優しくしてあげてね」と。
疲れ切った心に、ダブルパンチだよね。
さらに口だけの親戚が説教など始めたら、傷口広げて、私の感情をズタズタにしていくだけ。
捜索願を出し、イライラしながら連絡を待ち、やっと迎えに行った先で、「優しくしてあげて」
「優しく?!これ以上、どうしろって?」本音。
口を開いたら言いたくなるかもしれない。
「お母さんが迷子にならなければ、私はこんな思いしなくて済んだのに」って。
だから沈黙する。心が落ち着くまではそうやって自分を抑える。
「自分の親だから」「育てて貰ったでしょ」
そういわれると、反抗期の子供みたいに「特に頼んで産んで貰った訳じゃない」と言いたくなる。
何しろ、母は「娘なんて産んだ覚えはない」とはっきり私に言う。
「勝手に産んでおいて、これだけ毎日世話してるのに、産んでないだの、親子なわけがないって言われて。私も産んで欲しくなかったよ」本気でそう思い、泣きながら生まれたことを呪うこともある。
きっと世の中は美談を望んでる。
辛い介護を前向きに明るく捉え、被介護者に愛情を注ぎ「介護生活で多くのことを学びました」とか「介護することで得たものもたくさんあります」とか…。
得たモノってなんだろ?
例えば出会い。例えば認知症の症状や介護制度への知識。経験。♪人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから~と「贈る言葉」にあるように、人の痛みを分かる人間になった?
でも、認知症についての知識も介護の経験も特になくても生きていける。知らずに一生終えるならその方が幸せに決まってる。
出会いは、時に宝物。ただ、介護の世界を知らなければ知らないで、別なところで別な出会いはするだろう。
人の痛みも、多少想像力のある人間なら、思いやるとか、さりげなくサポートするとか、出来ないこともない。
あえて介護を経験して良かった、と言えるほどの心の広さは今のところない。
介護者は「私、介護はイヤです。ホントはやめたいです。逃げたいです。でも仕方ありません。だからやります。きれい事だけではすみません。腹がたって、早く何もかも終わればいいのにと思うこともあります。自分のための生活だってしたいです。あれもやりたい、これもやりたい。ほぼ毎日を母優先で過ごします。犠牲になっていると感じるのはそんなに悪いことですか。私にも私の生があるんですけど…」
そんなことをつぶやくことも許されていないのだろうか…。
本当にそうですね。
私の周りにはちょっと違うのですが、1月~2月に1回位見舞いにくるのだけれど、自分の仕事がハードだと愚痴をこぼしまくる人がいます。
多分、「私はこんなに忙しく、つらい思いをしてるんだから、そうそう見舞いにはこれないんだ。ましてや、1日たりとて、付き添って、面倒みるなんて出来ない。」と言いたいのだろう。
この人がくると、全くイライラしてしまう。
どこにもいるのですね。こんな輩が。
ホントに、そういう人が一人いるだけで、どっと疲れます。
こっちの気持ちを少しは推し量ろうって気はないのかと、人間として、どうなのよーって思います。
無視するに限るだけど、そうもいかない時がある……カナシイ
私の周りにも似たような親戚がいます。そんなのが近くに居るとほんとに疲れるよね。
縁を切りたくても親戚の葬式やら法事やらで顔をあわせなくちゃならない・・・ふぅε=(´。`)
残りの人生、出来ることならば嫌な人とは付き合いたくない、嫌なことは避けて通りたいと思っても中々そういうわけにもいかないし・・・。
介護だけでも大変なのにね!
さてさて、介護をしてる方は何かを犠牲にしているわけですから犠牲者ですよ!
しかも、もっと優しく?!なんていわれたんですか!?
ほんと失礼なことを言う方がいるんですね!!ほんと、だったら介護変わってあげてもいいですよね!
あなたらもっと優しくできるのか聞いてみたいものです。勝手なこと言う人はほんと腹が立ってきます。
かといってほんとに預けたら逆におばあちゃんがかわいそうになってすぐ引き取っちゃいそうですけど^^;
あ~もう。やんなっちゃいますね!