一年が過ぎたのに私はまだグズグズしている。
父がなくなった時、「今までいた人がいないことが普通のことになるまで3年かかる」と言われたことがある。
3年かかったかどうかもう記憶にはないけど、当時の私は仕事をしてたし、引っ越ししたりバタバタもしてた。
祖父母が入院してやることが増え、なんだかんだで失業したら、母がおかしくなってきた……。
そして介護一直線。
二度目の入院で療養病棟に移って点滴になった時
もうそんなに遠くない「いつか」、シングル一人っ子の自分が独りになるのを覚悟しながら、想像するのはとても怖かった。
多分、納骨とか手続きが終わって一息ついたら、怖さが襲ってきたんどと思う。
体も心もすっかり萎えてしまった。
でも、お腹は減るし、掃除もしなきゃならないし、出掛けるエネルギーはなかったけど、趣味をする気力はあったから生きられた。
メールや電話や、そしてネットがあったから生きられた。
半冬眠生活は秋まで続いた。
そこからだんだんエネルギーは戻ってきたけど、まだ少し冬眠中。
普通なら、友達に会いたい~何か楽しいことしたい~退屈~……と思うはずなんだけど、エネルギーがないとそんなふうにも思わない。
食べてたけどやせたし。
(大昔のスカートとか全然平気!これをキープしたいもんだ)
介護のことを色々考える。
思い出すと泣けたりする。
腹がたち、イライラし、怒鳴って泣いて……
それでも、母は母だから
悲しい。
認知症になって、他人様の手で下の世話をしてもらい、言いたいことも言えず、最後は何も食べられず、病院のベッドで一人命を終わらせた。
夜中に人知れず亡くなる…………
一番避けたかった終わり方だった。
出来るなら、容態が変化して付き添って、そして看とりたかった。
どうなって命が終わったのか私はわからない。
看護師に聞いてもわからない。
死因は肺炎になっているけれど。
在宅していても夜中にそうなったかもしれない。
そうなれば、のんきに寝ていた自分を責めたかも
亡くなる前日の土曜日、私は面会に行かなかった。
近くの手芸店で買い物をしたあと、となりのスーパーに行くと、クリスマスソングが流れていて
クリスマス…………関係ないなぁ~。母はケーキも食べられないし。
などと思いながら
明日、面会行こう~……と思っていた。
でも、明日はなかった。
その前日の金曜日、いつもとなんらかわりなかったのに。
最後の声は
初秋くらいだったか、むせて咳き込んだ母に
「苦しい?」と聞いた時に返ってきた
「うん」という声。
返事がかえるとは思わずに掛けた言葉への、思いがけない応答だった。
父がなくなった時、「今までいた人がいないことが普通のことになるまで3年かかる」と言われたことがある。
3年かかったかどうかもう記憶にはないけど、当時の私は仕事をしてたし、引っ越ししたりバタバタもしてた。
祖父母が入院してやることが増え、なんだかんだで失業したら、母がおかしくなってきた……。
そして介護一直線。
二度目の入院で療養病棟に移って点滴になった時
もうそんなに遠くない「いつか」、シングル一人っ子の自分が独りになるのを覚悟しながら、想像するのはとても怖かった。
多分、納骨とか手続きが終わって一息ついたら、怖さが襲ってきたんどと思う。
体も心もすっかり萎えてしまった。
でも、お腹は減るし、掃除もしなきゃならないし、出掛けるエネルギーはなかったけど、趣味をする気力はあったから生きられた。
メールや電話や、そしてネットがあったから生きられた。
半冬眠生活は秋まで続いた。
そこからだんだんエネルギーは戻ってきたけど、まだ少し冬眠中。
普通なら、友達に会いたい~何か楽しいことしたい~退屈~……と思うはずなんだけど、エネルギーがないとそんなふうにも思わない。
食べてたけどやせたし。
(大昔のスカートとか全然平気!これをキープしたいもんだ)
介護のことを色々考える。
思い出すと泣けたりする。
腹がたち、イライラし、怒鳴って泣いて……
それでも、母は母だから
悲しい。
認知症になって、他人様の手で下の世話をしてもらい、言いたいことも言えず、最後は何も食べられず、病院のベッドで一人命を終わらせた。
夜中に人知れず亡くなる…………
一番避けたかった終わり方だった。
出来るなら、容態が変化して付き添って、そして看とりたかった。
どうなって命が終わったのか私はわからない。
看護師に聞いてもわからない。
死因は肺炎になっているけれど。
在宅していても夜中にそうなったかもしれない。
そうなれば、のんきに寝ていた自分を責めたかも
亡くなる前日の土曜日、私は面会に行かなかった。
近くの手芸店で買い物をしたあと、となりのスーパーに行くと、クリスマスソングが流れていて
クリスマス…………関係ないなぁ~。母はケーキも食べられないし。
などと思いながら
明日、面会行こう~……と思っていた。
でも、明日はなかった。
その前日の金曜日、いつもとなんらかわりなかったのに。
最後の声は
初秋くらいだったか、むせて咳き込んだ母に
「苦しい?」と聞いた時に返ってきた
「うん」という声。
返事がかえるとは思わずに掛けた言葉への、思いがけない応答だった。
そういうものなんですね……しみじみ……。
12月は厳しいです…
いろいろな思い。
クリスマスだの年末年始だの世の中は騒がしいし……。
介護中、つい冷たくしてしまうのは、もう仕方ないです。
イライラ、怒って、怒鳴って……泣いて…
そうしないとこっちがバランス崩しますもんね。
それでいいんだと思います。介護を続けるためには。
と、覚悟した日を思い出しました。
私も、一人っ子です。
夫も子供もいるじゃないかと
言われるけれど、そういう事ではないな~と、
くだらない思い出の一つ一つ、共有できる人がいないという点で、みなしご。
わかっているのにね。
今日も、母に冷たくした私です。
反省する夜は、本当につらい。
12月、ダメだわ~
母の誕生日が1日で、命日が7日。で、記事にも書きましたが、亡くなる前日に買い物しててクリスマスソングが……
ということで、色々胸にきてしまう要素が重なってしまって。
そしてみんな忙しい年末なのに、私はボンヤリしてる(気楽なシングルとも言う(^-^ゞ)
介護中は、終わったら年末はおひとりさまツアーに行こう~と思っていたけど、今年は無理でした。
いずれ行けたらいいなぁ~
無理して、したくないことしなくても良いような気がします。
本当は、連れ出してくださるお友達がいてくれたらいいんだけど・・・。
でも、今はグズグズしてよいときと思います。
家に1人でいても、入院中で健在というだけで、気持ち違いますものねぇ。
ご自分を責めるのだけはやめてくださいね。
ビゴさんに、お母様は感謝されてます!