「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

【介護】認知症のサイン、おかね。

2011-07-11 | ●介護録(~2015.2月)

ATMでお金を降ろしていて
ふと、数年前、まだ、認知症と診断される前の母のことを思い出した。

一つの「認知症のサイン」。

うちの場合、25日が父の給料日だったから、母は、父の定年後も死後も
25日に生活費を降ろしに行くというパターンを通していた
そこは神経質な性格なので、キッチリしていて
私みたいに、明日でいいか~~なんてことはほぼないタイプ。

そんな人が、まず
「生活費降ろすの忘れてた」と言うようになった
しかし、そんなことは人間当然あるだろうし
家賃とか公共料金は引き落としとなると、きっちり生活費を降ろさなくても
それほど困らない状況。

そのうちに
ATMを使うのがイヤだと言い出した
母の世代は、まだまだ若い頃…といっても多分、40代くらいのころ?…に
ATMが使われるようになっているので普通に使える世代
それでも、後ろで人が待っていたりすると焦る…と。
それは、私にも分かる。
だから、その時も私はあまり気にしてなかった。年齢のせい?くらいで。

それから
ついに、「えっ?」と思うようなコトが起きた
「いくら降ろしていいか分からない」とつぶやいたのだ
その時は、私が一緒に行き、あれとかこれとかで○万円でいいんじゃないのー
とかなんとか言いながら降ろしたような記憶がある。

この時私は「なんかヘン」と確かに思った。
思ったけど、認知症とは思ってなかった
当時はまだ痴呆といっていた時代で、今ほど騒いでもいなかったから。
父が亡くなって、引っ越しして、母の親がその後に亡くなって…
そんなこんなで老人性ウツ?みたいなことは思ったんだけども……。

認知症の難しいところはこの状態が毎回続かないこと
例えば、七月にいくら降ろせばいいか分からない……と言っていた人が
八月はサクサクと普通に自力で降ろしていたりするわけで。

様子を見ていて、他に何も変わったところもないので
たまたまかな?…などと思う
「忘れる」といってもフツーの物忘れもあるのだし。

問題のない物忘れと認知症の物忘れは違っていて
認知症だと「忘れたことを自覚しない」「忘れたこと自体を忘れる」と言うけれども
初期の頃の区別はなかなか困難。

その後も母のお金管理はしばらく続いていたと思う。
それから、やたら家計簿を眺める時間が増えたことも記憶している。
家計簿はずっーーーとつけていた母
その頃もちゃんとつけていたのだけど
後で見たら、おかしな記述もあったし、一言日記欄には「作り話」も書かれていた。
やたら家計簿と向き合っていたのは
財布の中味と家計簿が合わなかったからなのか
何をやっているのかわけが分からなくてアレコレ計算?していたのか。

本人にとって一番キツイ時期だったのかもしれない。

私にとっても、ここからしばらくがツライ時期。
お金管理が出来ないことは明白になっても本人は出来るつもりでいるから
本人に悟られないように管理しなくてはならなかった

そんな山を越えて
お金に頓着しなくなったら介護する方としては楽になる

ああ、あのキツカッタ頃に比べたら~~~と思う
でも
介護は実は始まったばかりだったりする
そして、だんだん手が掛かるようになるんだけど
中途半端に「分かる。出来る」そんな時期より楽になったと、人は思う。

しかし、これはうちの母の場合。
案外、しっかりしたまま時を重ねるタイプの人もいる。

今思うと、認知症の前兆は、あれとかこれとか…あったと思う
でも「今思えば」なのである
そして、その頃の情報の少なさ、私の無知。
とはいえ、前兆をうまくキャッチ出来たとしても事態が好転したとも思えない
半年早くアリセプトを飲んだ、半年早くデイに行けた……くらいのものだろう
多分



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